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戦後の発展

戦後も熊本市の中心部では商業施設の開業が相次ぎ、商業都市としての地位を確立していった。街の規模も拡大を続け、熊本市の人口は1977(昭和52)年には50万人を突破。2012(平成24)年には政令指定都市へ移行し、5つの行政区が設置された。


1952(昭和27)年に開店した「鶴屋百貨店」

「鶴屋百貨店」は1952(昭和27)年、地上3階、地下1階の百貨店として開店した。店名はかつて付近に「鶴屋敷」と呼ばれた武家屋敷があったことに由来している。その後、次第に売り場面積を拡大し、1973(昭和48)年には日本初の「ルックイン・エスカレーター」を導入し、デパート初となる「サテライトスタジオ」も開設した。写真は1957(昭和32)年頃、「熊本城」からの撮影で、左の大きな建物が「鶴屋百貨店」。中央手前の建物は二代目の「熊本市役所」、右の高い建物は「大洋デパート」。【画像は1957(昭和32)年頃】

「鶴屋百貨店」は、現在は本館、東館、WING館、New-S館の4館で営業しており、熊本市で唯一のデパートとなっている。
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熊本を代表する百貨店だった「大洋デパート」 MAP __

1952(昭和27)年、下通一丁目で創業した「大洋デパート」は熊本を代表する百貨店に成長し営業を行ってきた。しかし、1973(昭和48)年に死者100人を超す大火災が発生し営業を休止。その後、1975(昭和50)年に営業を再開したが翌年に倒産した。跡地には1979(昭和54)年、複合商業施設「熊本城屋」が開業し、1995(平成7)年に「ダイエー 熊本下通店」に変わったが、2014(平成26)年に閉店した。【画像は昭和中期】

「ダイエー 熊本下通店」の跡地は、隣接していた「櫻井総本店」跡地と合わせて建替えが行われ、2017(平成29)年に複合商業施設「COCOSA SHIMOTORI」が開店した。

全蓋アーケードが連なる商店街

「下通」は「上通」と「新市街」の間に位置し、それぞれ戦前期から商業地として発達していた。「下通」一帯は、戦災で大きな被害を受けたが、戦後すぐに復興し映画館や百貨店が復活した。「下通」のうち、南側の「3番街」「4番街」では1970(昭和45)年に全蓋アーケードを建設、歩行者天国となった。その後、「下通」の北側、「上通」の南側、「サンロード新市街」でも全蓋アーケードが建設され、現在では「電車通り」を渡る部分を除き、1km以上にわたり連続する全蓋アーケードとなっている。写真は1979(昭和54)年、「サンロード新市街」に全蓋アーケードが完成したことを祝う「下通」の様子。
MAP __【画像は1979(昭和54)年】

現在の「下通」の同地点の様子。過去の写真とは、建物や店舗が変わっているところが多いが、一部に同じ屋号の店舗やビルが残る。

戦前期の「上通」周辺には、県庁や公的機関、教育機関が多かったため、「上通」にも役人・学生などが多く訪れ、市内で最も賑やかな商店街といわれた。写真は昭和20年代の「上通」の様子。右手に見える建物は「熊本日日新聞」の本社。この建物は、前身の一つである1882(明治15)年創業の「九州日日新聞」が、1908(明治41)年に本社社屋として建設した。
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現在の「上通」の同地点の様子。1960(昭和35)年に、熊本初となるオーニング(日よけ)を設置、1998(平成10)年には、全蓋アーケードも設置された。「熊本日日新聞」の本社は1999(平成11)年に移転し、跡地は再開発され、2002(平成14)年に「鶴屋百貨店 New-S館」や「熊本市現代美術館」、ホテルなどが入る「びぷれす熊日会館」が開業した。

なつかしの市電・熊本電鉄の風景

写真は熊本市電「西辛島町停留場」付近の1967(昭和42)年の街並み。東方面を望んでいる。
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写真は現在の同地点付近の様子。通り沿いにあった店舗はビルやマンションになっている。

写真は熊本市電「新町停留場」付近の1967(昭和42)年の街並み。奥に見える「長崎次郎書店」は1874(明治7)年創業で、小泉八雲、夏目漱石、森鴎外といった文豪も訪れた老舗で、建物は、1924(大正13)年築。
MAP __【画像は1967(昭和42)年】

写真は現在の同地点付近の様子。「長崎次郎書店」の建物は1998(平成10)年に国の登録有形文化財となった。2014(平成26)年リニューアルされ、2階に「長﨑次郎喫茶室」もオープンしている。

「太平洋戦争」開戦の頃、健軍に「三菱重工業」の「熊本航空機製作所」を建設することが決定、「太平洋戦争」末期の1944(昭和19)年に開所となった。この工場の工員輸送のため、熊本市電水前寺線を延伸する形で健軍(けんぐん)線が1945(昭和20)年5月に開通した。終点の「三菱工場前停留場」は、終戦後、1947(昭和22)年に100mほど手前寄りに移設され「健軍町停留場」に改称された。「三菱重工業」の工場跡地は現在は学校などの公共施設、「陸上自衛隊」の駐屯地などに利用されている。社宅があった地区を中心に、一帯は住宅地としても発展、「健軍商店街」も誕生した。写真は「健軍町停留場」付近の1967(昭和42)年の街並み。
MAP __【画像は1967(昭和42)年】

写真は現在の同地点付近の様子。写真の交差点左が「自衛隊通り」、右が「健軍商店街」(愛称「ピアクレス」)となる。

写真は熊本電鉄藤崎線「藤崎宮前駅」の1967(昭和42)年の様子。「藤崎宮前駅」は開業当初は軌道の停留場であったが、1951(昭和26)年に、写真の駅へ移転した。
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写真は現在の「藤崎宮前駅」を北側の踏切から望んでいる。現駅舎は1997(平成8)年に竣工した。

市電の路線の整理 MAP __

開通以降市民の足として利用されてきた「熊本市電」。戦後も1954(昭和29)年に坪井線、1959(昭和34)年に田崎線が開通するが、昭和40年代から一転して百貫線や坪井線などの廃止が続いた。写真は廃止された「藤崎宮前停留場」付近で、1967(昭和42)年の撮影。【画像は1967(昭和42)年】

現在は幹線、健軍線など5つの路線が残り、田崎橋~熊本駅前~健軍町を結ぶA系統、上熊本駅前~健軍町を結ぶB系統の2系統で運行されている。


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