1876(明治9)年に「東京医学校」(現「東京大学 医学部」)に招かれたドイツ人医学者ベルツが、七里ガ浜を保養地として推奨。1884(明治17)年には、同校の校長であった長與專齋(ながよせんさい)も鎌倉の海を海水浴の適地として紹介し、自身も由比ガ浜に別荘を持つなどしたことから、同地に海水浴場が開設された。当時の海水浴は「潮湯治」と呼ばれ、療養・保養を目的としていたが、海水浴客が増えるにつれレジャーとして定着していった。画像は大正期の由比ガ浜。
江戸時代に観光地化した鎌倉は、明治20年代に官営鉄道(現・JR東海道線、横須賀線)が延伸され「大船駅」「鎌倉駅」が設けられたことで、交通利便性が向上。療養のための海水浴場が整備され、保養施設が建設された。1902(明治35)年には江之島電気鉄道(現・江ノ島電鉄)の藤沢・片瀬(現・江ノ島)間が開通、その後、鎌倉方面に路線を延ばしていった。