1899(明治32)年、鎌倉の大町(現・御成町)に明治天皇の皇女である富美宮允子(ふみのみやのぶこ)内親王・泰宮聡子(やすのみやとしこ)内親王の避寒のための「鎌倉御用邸」が建設された。両内親王の成婚や、1923(大正12)年に発生した「関東大震災」で多大な被害を受けたこともあり、1931(昭和6)年に廃止。跡地は鎌倉町へ下賜され、1933(昭和8)年に「鎌倉郡御成尋常高等小学校」が開校した。
MAP __(鎌倉御用邸跡地)
【画像は1912(明治45)年】
交通利便性が向上した鎌倉には、華族、富裕層らが次々と別荘を構えるようになった。その代表的な存在が明治天皇の2人の皇女のための「鎌倉御用邸」で、「鎌倉駅」に近い「鎌倉市立御成小学校」がある場所に建てられていた。鎌倉を訪れる人々のための旅館や名物なども誕生した。