「田園都市株式会社」の本社は、1923(大正12)年に「洗足田園都市」の分譲地内の「洗足駅」前に移転した。写真は昭和初期、「目黒蒲田電鉄 田園都市部」となった1928(昭和3)年頃のもの。「田園都市株式会社」は現在の「東急電鉄」のルーツとなる企業の一つ。
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19世紀末、イギリスのハワードは、産業革命以降の都市労働者の労働・居住環境改善のため、都市および農村の魅力を併せもつ理想都市「田園都市」の建設を提唱。1903年にロンドンの郊外、レッチワースに初の「田園都市」の建設が始まった。
実業家・渋沢栄一氏らは、この「田園都市論」をベースに、「日本型田園都市」の建設を目指し1918(大正7)年に「田園都市株式会社」を設立。翌年、息子の渋沢秀雄氏(のちに同社取締役となる)が、レッチワースなど欧米の「田園都市」を視察、理念やデザインを学び、計画に取り入れた。
「田園都市株式会社」は洗足、多摩川台、大岡山(のちの「東京工業大学」の校地)の3地区で事業用地の買収を行い、1922(大正11)年に「洗足田園都市」、翌1923(大正12)年に「多摩川台住宅地(田園調布住宅地)」の分譲を開始。この年に発生した「関東大震災」により、郊外の住宅地はさらに注目されるようになった。
1922(大正11)年、「田園都市株式会社」は鉄道部門を分離し「目黒蒲田電鉄」を設立。その後、1928(昭和3)年に「田園都市株式会社」は「目黒蒲田電鉄」の一部門として再編され、「目黒蒲田電鉄 田園都市部(のちに田園都市課)」となった。「目黒蒲田電鉄」は姉妹会社の「東京横浜電鉄」との共同開発も行い、両社は1939(昭和14)年に統合、現在は「東急電鉄」となっている。