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「巣鴨プリズン」から「サンシャインシティ」へ

現在の東池袋にあった「東京拘置所」は戦後「GHQ」に接収され「巣鴨プリズン」となった。その跡地には「副都心」の再開発の一つとして「サンシャインシティ」が着工、主要施設である「サンシャイン60」は当時アジアで最も高いビルだった。


「東京拘置所」は接収されて「巣鴨プリズン」に MAP __

1895(明治28)年、「石川島監獄」が北豊島郡巣鴨村(現・豊島区東池袋)に移転。その後「巣鴨監獄」「巣鴨刑務所」と改められたが「関東大震災」で被災、現在の府中市へと移ることとなる。その跡地は「東京拘置所」となったが、「太平洋戦争」後に「GHQ」に接収、「巣鴨プリズン」となり、東條英機ら7人のA級戦犯と、BC級戦犯が処刑された。写真は明治末期の「巣鴨監獄」。【画像は明治末期】

「東京拘置所」は、1958(昭和33)年に巣鴨に復元されたが、1971(昭和46)年に小管へ移転した。【画像は昭和戦後期】

「副都心」池袋に、「サンシャインシティ」誕生 MAP __

「東京拘置所」が小菅に移転し、更地となった「サンシャインシティ」の建設予定地。【画像は1973(昭和48)年】

高速道路を見おろすように巨大な姿を現しつつある建設中の「サンシャイン60」。【画像は1977(昭和52)年】

「東京拘置所」の跡地は、「副都心」として再開発が進められることとなった。1966(昭和41)年に「新都市開発センター」が設立、1973(昭和48)年に地上60階、地下4階の高層ビル「サンシャイン60」を含む「サンシャインシティ」が着工され、5年後の1978(昭和53)年に完成した。「サンシャイン60」は当時アジアで最も高いビル(海抜251m)だった。【画像は1978(昭和53)年】



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