1895(明治28)年、「石川島監獄」が北豊島郡巣鴨村(現・豊島区東池袋)に移転。その後「巣鴨監獄」「巣鴨刑務所」と改められたが「関東大震災」で被災、現在の府中市へと移ることとなる。その跡地は「東京拘置所」となったが、「太平洋戦争」後に「GHQ」に接収、「巣鴨プリズン」となり、東條英機ら7人のA級戦犯と、BC級戦犯が処刑された。写真は明治末期の「巣鴨監獄」。
現在の東池袋にあった「東京拘置所」は戦後「GHQ」に接収され「巣鴨プリズン」となった。その跡地には「副都心」の再開発の一つとして「サンシャインシティ」が着工、主要施設である「サンシャイン60」は当時アジアで最も高いビルだった。