三方を海と川で囲まれた浦安エリアは、遠浅の海として種々の魚介類に恵まれ、江戸時代から漁業が盛んになった。昭和20年代後半の水産業の最盛期には浦安の中心部を流れる「境川」の周辺に漁民の集落が形成され、千数百隻の漁船がひしめく係留場所として利用された。夜が明けぬうちからたくさんの船が数珠繋ぎに沖へと出ていく光景は、浦安独特の漁師町風情であった。
大型テーマパークや、湾岸の高層マンションなどで知られる浦安。その地名が誕生したのは1889(明治22)年のこと。古くから遠浅の海を漁場としてきた漁村であった当代島、猫実、堀江の3村が合併した際に、“安らかな魚浦”になるようにと願いをこめて命名された。一部漁業権の放棄や公有海面埋立事業を経て、地下鉄東西線「浦安駅」が開業すると、陸の孤島と呼ばれていた地域が、次第に都心のベッドタウンとして開発が進んでいく。