「回向院」は、「明暦の大火」が発生した1657(明暦3)年、四代将軍・徳川家綱の命により、犠牲者となった多くの無縁仏を供養するために、「隅田川」東岸の地に建立された。1768(明和5)年以降、境内で勧進相撲が興行されるようになり、1833(天保4)年からは春秋二回、興行される定場所(「回向院相撲」と呼ばれる)となり、これが現在の大相撲へ発展した。図は歌川広重が1842(天保13)年に描いた『東都名所 両国回向院境内全図』で、左の建物が「回向院」の本堂で、右のよしず張りの巨大な建物が相撲小屋。
『火事と喧嘩は江戸の華』といわれたように、江戸期の江戸は火事の多い街であった。特に1657(明暦3)年に発生した「明暦の大火」(「振袖火事」とも呼ばれる)は、江戸の街の6割以上を焼失、10万人ともいわれる死傷者を出す大規模なもので、幕府は復興にあたり、「隅田川」東岸の湿地帯であった本所・深川一帯を干拓し、江戸の街を拡大していった。本所には「明暦の大火」の犠牲者を供養するため「回向院」が建立されたほか、「隅田川」(当時は「大川」「浅草川」などとも呼ばれた)には「両国橋」が架けられた。