戦勝祈願のために奉納された「しゃもじ」。【画像は明治後期~大正期】
広島を代表する名産として有名なのが木製の「しゃもじ」。野球の応援で勝利を願って「しゃもじ」を使う姿もよく知られている。「宮島」では「杓文字」ではなく、「杓子」と書かれ、「しゃもじ」そのものが「宮島」と呼ばれることもある。
この「しゃもじ」は、江戸時代の寛政年間(1789~1801年)に、「宮島」にある浄土宗の寺院「光明院」の僧である誓真が弁財天の夢を見て、琵琶形の「しゃもじ」を考案し、「御山」の神木で作ることを島民に教えたことに始まる。その後「しゃもじ」は「宮島」を代表する土産物となった。
「日清戦争」「日露戦争」時には「敵を召し(飯)取る」という意味から、戦場に向かう兵士が、戦勝祈願のために多数の「しゃもじ」を奉納していた。「千畳閣」の柱に括りつけられた、無数の「しゃもじ」を写した絵葉書も残されている。
「宮島」名物の「もみじ饅頭」は、明治後期に和菓子職人が、旅館「岩惣」の依頼を受けて考案したとされる。この「紅葉形焼饅頭」が1910(明治43)年に商標登録され「しゃもじ」とともに「宮島」を代表する土産物となった。一説には「宮島」を訪れた初代総理大臣の伊藤博文が、給仕した茶屋の娘の美しい手を見て「なんと可愛らしい、もみじのような手であろう。」と、掛けた言葉がヒントになったともいわれている。