「広島湾」の「杭打垂下法」によるかき養殖。【画像は昭和30年代前半】
かき(牡蠣)は、全国の出荷量の約60%を占める広島の名産品として知られている。「広島湾」は波が静かで「太田川」から流れ込む淡水に餌となるプランクトンも多いことから、かきの養殖に適しており、身はふっくらとして味が濃厚といわれる。
人々は長い間、天然のかきを食べていたが、室町時代の終わり頃にかきの養殖が始まったとされる。大正期の文献によれば「天文年間(1532~55年)、安芸国において養殖の法を発明せり」と書かれている。
当初は、干潟に小石を並べてかきを付着させ、成長を待つ「石蒔式養殖法」が行われていた。また、かきを干潟の上に置いて成長を待つ「地蒔式養殖法」もあった。その後、1627(寛永4)年に矢野村(現・広島市安芸区)の和泉源蔵が雑木を建てて、かきの養殖を始めたとされる。また、草津村(現・広島市西区)では延宝年間(1673~81年)に「ひび建て養殖」が考案され、大正末期頃まで行われてきた。
その後、昭和時代には棚を設ける「杭打垂下法(簡易垂下法)」が開始され、1932(昭和7)年に「広島県水産試験場」で新たに「筏式垂下法」が考案された。戦後、材料が改良され、筏の強度が増したことで、沖合での養殖が可能となり、広島のかきの生産量は飛躍的にアップした。