1871(明治4)年、広島県が発足、庁舎が「広島城」の本丸に置かれた。その後、仮庁舎を転々としていたが、1878(明治11)年に、現在の広島市中区加古町(かこまち)に、ルネサンス様式の木造2階建ての新庁舎が完成した。県庁の周辺には、1877(明治10)年に「公立広島病院」、1905(明治38)年に「日本銀行広島出張所」、1910(明治43)年に「広島県会議事堂」が建設されるなど、都市機能の中枢を担うエリアとなっていった。
「明治維新」後、広島は中国地方の中心地として更に発展した。本州西部を結ぶ山陽鉄道の「広島駅」が開業し、ここから県下や山陰地方への鉄道ルートが開かれた。一方で「学都」としても知られており「広島高等師範学校」が置かれるなど、西日本における教育の中心地でもあった。