亀戸は古くは小さな島で、島の形が亀に似ているため「亀島」「亀津島」とも呼ばれていたという。「亀戸香取神社」は、1371(応安4)年に社殿が創建されたといわれる古社。665(天智天皇4)年、藤原鎌足が東国下向の時、「亀島」に立ち寄り「香取大神」を祀ったことが始まりという伝承もある。亀戸村の鎮守として住民の崇敬を集めてきた。図は江戸後期、『江戸名所図会』に描かれた亀戸の「香取大神宮」。
江戸期は深川までが江戸のうちであったが、その隣接地域、のちの城東区(明治期の亀戸村・大島村・砂村、のちにそれぞれ町に昇格)の寺社なども、江戸町民の行楽地として賑わった。明治期以降は東京の拡大とともに工業地としても発展、大正期には、路面電車も建設されるなど、都市化が進み、震災後の1932(昭和7)年に東京市へ編入、城東区となり、戦後の1947(昭和22)年、深川区域と合わせて江東区となった。