このまちアーカイブス INDEX

藤沢町の発展

1887(明治20)年、東海道本線の「藤沢駅」が開業。駅の場所は、江戸時代から往来が盛んであった旧「藤沢宿」と「江の島」を結ぶ「江の島道」と線路が交わる地点であり、藤沢の市街地の中心地は旧「藤沢宿」から南の「藤沢駅」周辺へ次第に移っていった。1940(昭和15)年には市制が施行され藤沢町から藤沢市となった。


「藤沢駅」駅前の発展 MAP 21

1887(明治20)年に東海道本線「藤沢駅」が開業すると、駅前で交差する「江の島道」は、北の旧「藤沢宿」や「遊行寺」、南の「江の島」へ向かう道として賑わうようになった。駅周辺の「江の島道」沿いは商業地として発展をはじめ、割烹や旅館なども開業した。写真は明治後期~大正期の「藤沢駅」の駅前で、右が駅舎。左奥の白い建物が「稲毛屋」のレストラン、その前が「江の島道」、左手前が「角若松」。「角若松」と「稲毛屋」は戦前期の駅前を代表する割烹・旅館であった。【画像は明治後期~大正期】

「角若松」があった場所は、後に「さいか屋」「丸井」となり、現在は「ビックカメラ」となっている。隣の「角若松ビル」に屋号が残る。「稲毛屋」があった場所には「スルガ銀行」が入るビルが建つ。

「江之島水道」と「湘南水道」

「江の島」は水が得にくく、対岸の片瀬から桶を担いで桟橋を渡ったり、小舟を利用するなど、苦労して水を運んでいた。これに同情した実業家で鵠沼の大地主の髙瀨彌一は、1926(大正15)年に「江之島水道」を創設、自宅の敷地に大きな井戸を掘り、海底に水道管を通して「江の島」に飲料水を供給する事業を行った。その後、給水域を広げるなど事業を拡大、東京の「玉川水道」と提携し、1928(昭和3)年に「湘南水道」となった。写真は浄水場(現・鵠沼桜が岡一丁目付近)の様子。【画像は1931(昭和6)年】 MAP 22(浄水場跡付近)

神奈川県は「湘南水道」の施設を買収、1933(昭和8)年に国内最初の広域水道としての県営水道が誕生した。写真は「江島神社」の参道にある「江之島水道」時代の量水器の蓋。現在も「江の島」の内外に、「江之島水道」や「湘南水道」時代の量水器の蓋をいくつか見ることができる。 MAP 23(量水器の蓋の場所)

「神奈川県立湘南中学校」の開校 MAP 24

この地方には海軍高級士官の子弟が多く、早くから県立中学校の設置が望まれ、1921(大正10)年に県下6番目の中学校、「神奈川県立湘南中学校」が開校。文武両道の校風で、戦前は「海軍兵学校」などにも合格者を多数輩出した。写真は1930(昭和5)年完成のプールと、1936(昭和11)年に創立15周年記念事業で建てられた体育館。【画像は1936(昭和11)年頃】

戦後の1948(昭和23)年、学制改革により「神奈川県立湘南高等学校」となった。翌年には「全国高等学校野球選手権大会」で優勝している。ノーベル化学賞を受賞した根岸英一、作家の石原慎太郎をはじめ各界の著名人も多く輩出している。

「藤澤カントリー倶楽部」と「グリーンハウス」 MAP 25

1932(昭和7)年、現在の「善行駅」付近に「藤澤カントリー倶楽部」が開設され、翌年には「日本プロゴルフ選手権大会」も開催された。京浜の実業家を中心に500名の会員を擁していたという。クラブハウス(写真)は建築家のアントニン・レーモンドの設計で、「太平洋戦争」中に接収され「藤沢海軍航空隊」の司令部として使用、戦後はGHQに一時接収、返還後は合宿所などに使用されたのち、「神奈川県立体育センター」の食堂となった。【画像は1955(昭和30)年】

かつてのクラブハウスは現在は「グリーンハウス」と呼ばれている。「神奈川県立体育センター等再整備事業」の一環で改修工事が進行中で、2020年に「体育センター」のクラブハウス機能を持つ施設として供用される予定。

藤沢町から藤沢市へ MAP 26(撮影地点)

1908(明治41)年、高座郡の藤沢大坂町、鵠沼村、明治村が合併して藤沢町となり、1940(昭和15)年に市制を施行し藤沢市となった。市制当初は町役場時代からの庁舎(現「藤沢公民館」の場所)を使用、1951(昭和26)年、朝日町に新たな庁舎が建設された。写真は昭和30年代の官庁街で、中央奥に見える望楼のある建物が市役所の庁舎。このあたりには、かつて「若尾製糸場」「若尾銀行」などがあり、通称「若尾山」と呼ばれていた。【画像は1956(昭和31)年】

写真は「郵便局前交差点」付近から市役所本庁舎(中央の建物)方面を撮影。本庁舎は老朽化のため建て替えられ、2018(平成30)年に新庁舎となった。


次のページ 戦前の漁業・工業


MAP

この地図を大きく表示



トップへ戻る