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『東京の宝塚』とも称された戦前の「京王閣」

「京王電軌」は多摩川原の観光地開発を進め、1919(大正8)年に「多摩川原公園」を開園、1927(昭和2)年には「京王閣」を開館させ、『東京の宝塚』とも称されるほどの人気となった。「京王電軌」による「日活」の誘致以降は、「日活」の女優、楽団などによるショーも上演され、さらに魅力的な行楽地となった。


「京王閣」の案内図 MAP __

「京王電軌」は本線開通から3年後の1916(大正5)年、「調布駅」~「多摩川原駅」(現「京王多摩川駅」)間の支線を開通させ、1919(大正8)年、「多摩川原公園」を開設した。「京王閣」の開館前である1924(大正13)年発行の『京王・玉南鉄道沿線案内』(本ページ非掲載)には、「多摩川原公園」周辺に「京王演芸館」「玉華園」「玉華楼」「富士見亭」「江戸前」「塚善」「玉川亭」といった店・施設が描かれている。

1927(昭和2)年、「京王電軌」は「多摩川原遊園」内に「京王閣」を開館した。案内図は昭和戦前期の園内の様子。作成年は不明であるが、駅名が「京王多摩川駅」であること(1937(昭和12)年改称)、撮影所に「日活」の名前があること(1942(昭和17)年1月に「大映」に統合)から、1937(昭和12)年から1941(昭和16)年の間に作成されたものと思われる(「総親和」のスローガンが流行語になるのは1939(昭和14)年であることから、それ以降である可能性が高い)。

「京王閣」は「太平洋戦争」中は防空監視哨が置かれるなど軍用の施設として使用され、終戦直後は占領軍のためのレジャー施設となり、その後1947(昭和22)年に売却された。翌年、「自転車競技法」が制定されると、町を挙げての誘致運動が行われ、1949(昭和24)年に「京王閣競輪場」が開設された。翌1950(昭和25)年に、「日本サイクリストセンター」が旧「玉華園」の場所(現在の「角川大映スタジオ」の北側)に開校、競輪選手の養成も行われるようになった。「日本サイクリストセンター」は1955(昭和30)年に「日本競輪学校」に改称され、1968(昭和43)年に静岡県の修善寺町に移転している。 MAP __(日本サイクリストセンター跡地) 【画像は昭和戦前期】

1「京王閣本館」

「京王閣」の本館は、鉄筋コンクリート三階建の建物で、大浴場、音楽堂、児童遊戯室、食堂、展望台などが設置された。展望台からは、眼下に「多摩川」、遠くは「富士山」まで望むことができた。写真は竣工当時のもの。【画像は1927(昭和2)年】

2「京王閣大瀧」

灯台のようなオブジェの先端から水が滝のように落ちる噴水のあるプール。写真のキャプションには「京王閣大瀧」、上案内図には「大噴水」とある。写真の右奥に見えている建物が本館。この「大瀧」があった場所は、現在の「東京オーヴァル京王閣」の「東スタンド」付近になる。【画像は昭和戦前期】

3「京王演芸館」

「京王演芸館」は1924(大正13)年発行の沿線案内に掲載されており、「京王閣」完成前から先行して「多摩川原公園」内で営業していたと推察できる。上案内図では左下の方に「演芸館」と記されており、現在その場所は「東京オーヴァル京王閣」の「東スタンド」付近になる。【画像は昭和戦前期】

レビューのプログラム

1930(昭和5)年、「演芸館」の隣に「日本劇場附属音楽舞踏学校」が開校した。当時、有楽町に建設中の劇場・映画館「日本劇場(日劇)」の専属出演者を養成するための学校であった。1931(昭和6)年の「京王閣」の新聞広告には音楽舞踏学校によるレビューを「演芸館」で毎日2回上演とある。画像は、当時のレビューのプログラム。しかし、不況のため「日劇」の建設が一時休止となり、1932(昭和7)年で廃校となった。1934(昭和9)年、「京王電軌」の誘致により、「日活」の撮影所が多摩川原に誕生となるが、同年6月の新聞記事には『日活では京王閣の舞台を経営することになったので、近く女優のみの技芸学校を作り、舞台に立たせながらトーキー俳優の養成をする』とあり、この時「日劇」の学校跡が上案内図にある「日活音楽舞踏研究所」になったと思われる。1935(昭和10)年の「京王閣」の新聞広告には、「演芸館」において「日活」の映画上映のほか、「特設演芸場」において「日活」による専属楽団の演奏、模擬撮影、タップダンス、コメディなどを上演することが記載されている。「京王閣」は、「日活」の協力を得て、さらに魅力的な行楽地となった。【画像は昭和戦前期】

4「ボート池」
現在も競輪場内に残る、コンクリートで作られた鍵型の池。池畔の藤棚と喫茶も同じ位置に見られる。現在はボート遊びはできない。

5「大岡稲荷天」
江戸時代、大岡越前守の邸内にあった「豊川稲荷」から分祠されたものといわれ、1930(昭和5)年に「京王閣」に奉納された。現在も競輪場内に祀られているが、場所は正門前の池の北側へ遷座している。

6「喫茶江戸前」
1924(大正13)年発行の『京王・玉南鉄道沿線案内』に「江戸前」の名前が見えることなどから、「京王閣」完成前から「多摩川原公園」内で営業していたと思われる。

7「貸別荘」
当時のパンフレットには『和風・洋風の貸室』とある。現在「京王多摩川駅」は「多摩川」寄りに移転・高架化されており、上案内図で「貸別荘」と書かれたあたりは「臨時口」の改札となっている。

8「ウォーターパーク」
「京王閣」開業前の1923(大正12)年、「多摩川原駅」前に地元の有力者により建設された水郷園で、ボート遊びや釣りが楽しめた。上案内図では西側(上側)を「水花園」(「菖蒲園」とする資料もあり)と記している。「水花園」の跡地は、戦後に「東京菖蒲園」「京王百花苑」となり、2002(平成14)年からは「京王フローラルガーデンアンジェ」となっていたが、2021(令和3)年に閉園となった。 MAP __(京王フローラルガーデンアンジェ跡地)

写真は現在「東京オーヴァル京王閣」の愛称で呼ばれる「京王閣競輪場」の正門付近。場内には大きな樹木も多数残されており、景勝地としての歴史を感じさせる。


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※1919(大正8)年に「京王電軌」が開園した「多摩川原公園」は、資料・時代により「多摩河原公園」「多摩川原遊園」「京王閣遊園」など様々な表記・名称がある。
1927(昭和2)年の「京王閣」開館時に「多摩川原遊園」という名称が確認できることから、本ページでは「京王閣」の開館までを「多摩河原公園」、開館以降を「多摩川原遊園」で統一している。



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