「多摩川」は鎌倉時代の文献にも登場するなど、古くより鮎の名産地として知られ、江戸時代には「御菜鮎」として将軍家に献上され、浮世絵でも鮎漁の様子が描かれた。大正時代、「京王電車」が開通すると、調布周辺へ鮎釣りや鮎漁見物を楽しむ人も多く訪れるようになった。多摩川原の料亭では、屋形船を出して鮎漁を見物させ、その鮎を料理して提供していた。1914(大正3)年発行のガイドブック『調布案内』には「玉華園」「玉翠園」「塚善」「玉川亭」「水月亭」「新川亭」等の「鮎漁案内所」が記載されている。昭和初期頃までは「鵜飼漁」も行われていた。写真は料亭「玉華楼」の屋形船。「多摩川」の鮎は、水質の悪化や、砂利採掘による河床低下のための用水の取水堰設置で遡上が阻害されるなどにより減少したが、2011(平成23)年以降、推定遡上数は高水準となっている。近年、水質の改善や、取水堰の魚道整備が進んだことで、鮎の生育・遡上のための環境が回復してきていると考えられている。
「多摩川」は、江戸時代の『江戸名所図会』に「当国(武蔵野国)第一の勝概(しょうがい・すぐれた景色のこと)とす。」とも記された古くからの景勝地。1913(大正2)年、「京王電車」が開通すると、「多摩川畔」には「鮎漁案内所」や料亭・旅館などが立ち並ぶようになり、さらに子ども・家族向けの水泳場や「京王閣」などのレジャー施設も整備され、多くの人々が訪れる行楽地となった。