1933(昭和8)年、「日本映画」は「京王電軌」から土地の提供を受け、「多摩川原駅」(現「京王多摩川駅」の北側)の東側駅前に、調布で最初となる撮影所を作った。翌年「日本映画」は倒産、撮影所は「日本活動冩眞(日活)」が買収し、「日活多摩川撮影所」となった。写真は、「日活多摩川撮影所」時代のうち、1936(昭和11)年~1942(昭和17)年の間に撮影された航空写真。左下(西側)の大きな敷地内には本館があり、1936(昭和11)年には敷地を右(東側)へ通りを挟んで拡大している。撮影所の上(北側)、「布田崖線」より上にあった建物群は、当時「日活村」(のちに「大映村」)と呼ばれた、撮影所関係者(俳優やスタッフなど)の社宅。
MAP __(多摩川原駅跡地)
MAP __(日活村・大映村跡地)
調布では映画・教育・音楽などの文化も特徴を持って発展した。特に映画は調布を代表する文化として知られるようになり、近年は関連イベントも多数開催されている。仙川には、戦後「桐朋学園女子部門」「桐朋学園音楽部門」「白百合女子大学」が誕生、女子学生が多い華やかな学生の街に。また、飛行場周辺の広大な土地は、戦後米軍の接収ののち返還となり、大型のスポーツ施設や多くの市民グラウンドが作られ、スポーツが盛んな街となった。