『不如帰(ほととぎす・ふじょき)』などで知られる小説家・徳冨蘆花(本名:徳富健次郎)氏は、1906(明治39)年、ロシアのトルストイの家を訪ねた際に「農的生活」を勧められ、翌年青山から千歳村粕谷(現・世田谷区粕谷一丁目)へ移り住み、1927(昭和2)年に逝去するまでの約20年間、晴耕雨読の生活を送った。1913(大正2)年に刊行された『みゝずのたはこと』は粕谷での最初の6年間の生活を綴ったもの。『曩時(むかし)の純農村は追々都会付属の菜園になりつゝある。京王電鉄が出来るので、其等を気構へ地価も騰貴した。』など、この頃の村の変化も記されており、当時のこの地域を知る貴重な文献ともなっている。
明治時代後期に徳冨蘆花氏が求めた「農的生活」の地は、「京王電車」の開通を契機に近代化・都市化が進んだ。さらに「関東大震災」後の人口流入や様々な施設の移転もあり、東京近郊の住宅地として発展。1936(昭和11)年、千歳村は世田谷区へ編入、『大東京市』の一部となった。