茅ヶ崎周辺での養蚕業は、明治末期から次第に盛んになっていった。長野県小諸町(現・小諸市)の製糸所「純水館」館主・小山久左衛門の妻が療養のため「南湖院」に入院した際、このあたりの繭に注目したことがきっかけとなり、1917(大正6)年、現在の新栄町に「純水館 茅ヶ崎製糸所」が開設された。養蚕農家は養蚕組合を組織し、採取できる繭の半分の量を特約取引によって「純水館」に販売していたという。写真は1923(大正12)年、皇太子ご成婚に際し「純水館」が選ばれて生糸を献上した際に記念として撮影されたもの。右端のモーニング姿の男性が館主。
大正期~昭和初期頃の茅ヶ崎の産業は、「相模川」での砂利採取や養蚕業などが盛んであった。その後、戦時色が濃くなると、「軍都」相模原・横須賀が近いこともあり、軍需関連の工場が多く立地するようになった。これらの工場には、1940(昭和15)年に開業した「日東駅」(現「北茅ヶ崎駅」)付近から幾本もの専用線が延び、原材料や製品を運んでいた。その後、引込み線は役目を終え、1986(昭和61)年に「北茅ヶ崎駅」の貨物取扱は廃止された。