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外交と国政の中心地となった麻布・赤坂

江戸末期から明治期にかけて、赤坂・麻布一帯には外交や行政のための施設も多く誕生している。1873(明治6)年からは「赤坂仮皇居」が置かれており、この中で「大日本帝国憲法」の草案も作られた。「赤坂仮皇居」の跡には「東宮御所」が建設され、現在は「迎賓館」として利用されている。


外交の街

麻布・赤坂には、江戸末期の開国から明治期にかけて、公使館・大使館など多くの在外公館が置かれるようになった。1859(安政6)年、アメリカ合衆国(以下アメリカ)の初代駐日公使となったハリスは、幕府より貸与された麻布の「善福寺」に「アメリカ公使館」を置いた。その後、攘夷派の襲撃があり、書院などを焼失、横浜に避難する公使もいたが、築地に移転する1874(明治7)年まで「公使館」として使用された。写真は昭和戦前期の「善福寺」。【画像は昭和戦前期】

「善福寺」の境内には1936(昭和11)年にハリスの記念碑が建てられており、「太平洋戦争」中の反米熱が高まった時期も乗り越え、現存している。現在、麻布・赤坂が含まれる港区は、外国の大使館が日本で一番多く置かれている自治体で、このことが国際色豊かな街へ発展した理由の一つともいわれる。
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「アメリカ公使館」は、1874(明治7)年に築地へ、さらに1890(明治23)年に赤坂の現在地へ移転し、1906(明治39)年に大使館に昇格した。写真は明治末期撮影の「アメリカ大使館」で、この建物は1923(大正12)年の「関東大震災」により倒壊・焼失した。
MAP __【画像は1912(明治45)年頃】

写真は1931(昭和6)年に建て直された「アメリカ大使館」。白亜の壁の3階建ての建物で、「(赤坂の)ホワイトハウス」とも呼ばれた。【画像は1935(昭和10)年頃】

現在の「アメリカ大使館」のビルは1976(昭和51)年に完成している。

「赤坂仮皇居」と「憲法記念館」

紀州徳川家が1632(寛永9)年に拝領し、中屋敷が置かれた場所は、1872(明治5)年にその土地と建物が天皇家に献上され「赤坂離宮」となった。翌年、「皇城」(旧「江戸城」)が失火により焼失したため、天皇の一時的な居所「赤坂仮皇居」として整備された。図は「赤坂仮皇居」の外観を描いたもの。中央に見える洋風の建物は1878(明治11)年に完成した「太政官庁舎」。「皇城」跡には1888(明治21)年に「明治宮殿」が竣工(「皇城」は「宮城」と改称)したため、1889(明治22)年に「赤坂離宮」は「仮皇居」としての使用を終えた。【図は1885(明治18)年】

「赤坂仮皇居」には、1881(明治14)年に宮廷外交のための施設「赤坂仮皇居御会食所」が竣工、ここで各国の公使や賓客をもてなす宮中晩餐会が行われるようになった。1888(明治21)年には、この建物で「大日本帝国憲法草案」の審議も行われた(翌年の発布は新築となった「明治宮殿」で行われている)。図は建築のために造られた『赤坂仮皇居会食所・御車寄平面図』の写し。
MAP __(御会食所跡付近)【図は明治前期】

「赤坂仮皇居御会食所」は1907(明治40)年に憲法制定に功績のあった伊藤博文に下賜され、翌年、大井村(現・品川区)の伊藤邸へ移築、「恩賜館」と命名された。1918(大正7)年、養嫡子の伊藤博邦より「明治神宮奉賛会」へ献納され現在地へ再移築、「憲法記念館」となった。写真は昭和初期に撮影された「憲法記念館」。
MAP __【画像は1929(昭和4)年頃】

「憲法記念館」は、1947(昭和22)年に「明治神宮」の総合結婚式場「明治記念館」となり、現在も「明治記念館本館」として利用されている。写真中央の車寄せが、『赤坂仮皇居会食所・御車寄平面図』で左下に突出している部分となる。

「東宮御所」から「迎賓館」へ MAP __

「仮皇居」としての役割を終えた「赤坂離宮」には、明治20年代の末頃より、当時の皇太子・明宮嘉仁(はるのみやよしひと)親王(のちの大正天皇)の住居「東宮御所」が計画され、1899(明治32)年に着工、1909(明治42)年に完成した。【画像は明治後期~大正期】

「東宮御所」は日本で最初の西洋風宮殿建築で、設計は「宮内省」の建築家であった片山東熊。写真は「外濠」越しに望む「東宮御所」で、明治後期~大正期の撮影。左右に通る道は「紀伊国坂」で、路面電車は一段低い所を「外濠」に沿って走っていた。【画像は明治後期~大正期】

このあたりの「外濠(真田濠)」は、戦後、戦災の瓦礫処理のため埋立てられ、現在は「上智大学」が「真田堀運動場」として使用している。
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戦後、「赤坂離宮」の建物と敷地は皇室から国に移管され、「国立国会図書館」(1948(昭和23)年~1961(昭和36)年)、「東京オリンピック組織委員会」(1961(昭和36)年~1965(昭和40)年)などに使用された。写真は「国立国会図書館」として使用されていた時の内部の様子。【画像は1959(昭和34)年頃】

1967(昭和42)年に改修し、外国賓客のための施設とすることが決定、1974(昭和49)年に「迎賓館」が完成した。2009(平成21)年に「旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)」として国宝(明治以降の文化財としては初)となった。


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