沿線の歴史散策 INDEX

東京西郊では、大正期に郊外住宅地の開発が始まり、特に「関東大震災」後にその動きは加速され、東京中心部から西郊へ向かう私鉄の整備・建設も進められた。こうした中、「目黒蒲田電鉄」(現・東急目黒線・多摩川線)の傘下に入っていた「東京横浜電鉄」(現「東急電鉄」)は、1926(大正15)年に神奈川線の「丸子多摩川駅」(現「多摩川駅」)~「神奈川駅」(現存せず、現「青木橋交差点」付近)間を開通させた。その後、「丸子多摩川駅」から「渋谷駅」までの区間(渋谷線)の建設も進められ、1927(昭和2)年に開通、神奈川線を併せて東横線へ改称。1932(昭和7)年には「桜木町駅」まで延伸され全通となった。


路線図は『沿線案内 東横・目蒲・池上電車』で、1935(昭和10)年頃の作成と推定(※)される。沿線には分譲地、学校、スポーツ・レジャー施設など、「東京横浜電鉄」およびその関係会社が開発・誘致した施設が多数描かれている。本ページでは、このうち東横線部分を紹介する。
(※)池上線の買収が1934(昭和9)年10月、新奥沢線廃止が1935(昭和10)年11月のため。

「渋谷駅」~「府立高等駅」(現「都立大学駅」)

図は『沿線案内 東横・目蒲・池上電車』のうち東横線「渋谷駅」から「府立高等駅」(現「都立大学駅」)部分を切り出したもの。この区間に記載されている東横線の駅は全て、1927(昭和2)年の延伸開通当初から設置されていた。「玉川電車」(東急田園都市線の前身)も描かれているが、この当時は別会社の「玉川電気鉄道」の経営であった。

「渋谷駅」は1885(明治18)年に日本鉄道品川線(現・JR山手線)の開通と同時に開業した歴史ある駅。乗換駅としての発展は1907(明治40)年、玉川電気鉄道玉川線(東急田園都市線の前身)の路面電車が乗り入れたことに始まり、その後、1911(明治44)年に東京市電も乗り入れるようになった。

東横線が「渋谷駅」(写真)に乗り入れたのは1927(昭和2)年。「丸子多摩川駅」から「渋谷駅」までの区間(渋谷線)が延伸開通となり、東横線と命名された。開業以来、ホームは山手線に隣接する場所に置かれていたが、2013(平成25)年に現在地となる地下へ移転し東京メトロ副都心線と直通運転を開始した。

「渋谷駅」の次に記載されている「並木橋駅」は、戦前期、周辺の学校へ通学する学生の利用で賑わったという。戦時中の1945(昭和20)年、空襲で全焼し休止となったのち、1946(昭和21)年に正式に廃止となった。場所は「渋谷川」に架かる「新並木橋」の少し北にあった。駅名の由来となる「並木橋」は現在も「新並木橋」に隣接して架けられており、主に歩行者が利用する橋となっている。

開業当初の頃の東横線「渋谷駅」 開業当初の頃の東横線「渋谷駅」。
昭和戦前期の「代官山アパートメント」 昭和戦前期の「代官山アパートメント」。

「代官山駅」の駅名にもなっている「代官山」の地名は、江戸時代の文献にも見られたが、その由来は不明となっている。「関東大震災」後、住宅不足解消のために設立された「財団法人 同潤会」は、1927(昭和2)年、代官山の「青山女学院」跡地に「代官山アパートメント」(当初の名称は「渋谷アパートメント」)を建設した。路線図には「同潤会アパート」と記されている。1957(昭和32)年に住民に払い下げられ、その後、老朽化により1996(平成8)年に解体された。跡地は、36階の高層タワーマンションや商業施設が入る「代官山アドレス」などになった。

「中目黒駅」の駅名は、江戸時代の村名「中目黒村」から続く地名「中目黒」に由来する。1964(昭和39)年に営団(現・東京メトロ)日比谷線が乗り入れるようになり急行も停車する主要駅となった。東横線は、このとき日比谷線との相互直通運転を開始したが、2013(平成25)年、「渋谷駅」での東京メトロ副都心線の相互直通運転開始に伴い、「中目黒駅」での日比谷線との相互直通運転は廃止された。

「祐天寺駅」の駅名は駅の東にある江戸中期創建の浄土宗寺院「祐天寺」に由来している。「祐天寺」では高僧で「増上寺」の住持も務めた祐天上人を祀る。

「碑文谷(ひもんや)駅」(現「学芸大学駅」)の駅名の由来「碑文谷」の地名は「碑文谷八幡宮」にある「碑文石」に由来するといわれる。1936(昭和11)年、駅の近くに「東京府青山師範学校」(「東京学芸大学」の前身校)が移転してきたことに伴い「青山師範駅」へ改称、その後、学校名の改称とともに、1943(昭和18)年に「第一師範駅」、1952(昭和27)年に「学芸大学駅」へ改称した。その後、「東京学芸大学」は1964(昭和39)年に小金井市へ移転したが駅名は改称せずに現在へ至る。「東京学芸大学附属高等学校」が駅の北西にある。

「府立高等駅(現「都立大学駅」)」は、「柿の木坂駅」として開業、1929(昭和4)年、近くに「府立高等学校」が開校したことから、1931(昭和6)年に「府立高等前駅」、さらに1933(昭和8)年に「府立高等駅」へ改称となっていた。その後、学校名の変更に伴い1943(昭和18)年に「都立高校駅」、1952(昭和27)年に「都立大学駅」へ改称している。1991(平成3)年、「東京都立大学」は八王子市へ移転となったが、その際は駅名は改称されずに現在へ至る。なお、「東京都立大学」の跡地には2002(平成14)年に「めぐろパーシモンホール」(写真)が開館、移転せずに残っていた「東京都立大学附属高等学校」は、現在は「東京都立桜修館中等教育学校」になっている。

「めぐろパーシモンホール」 「東京都立大学」の跡地に建つ「めぐろパーシモンホール」。

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