業績不振により両社は「東京急行電鉄」(東急)の傘下に入り、1943(昭和18)年、「相模鉄道」が「神中鉄道」を吸収合併。旧・相模鉄道線は相鉄相模線、旧・神中鉄道線は相鉄神中線となった。しかし翌1944(昭和19)年、相模線は軍事輸送に適したバイパス路線とされ国有化、省線(のちの国鉄、現JR)相模線となったため、「相模鉄道」は神中線のみを運営する会社となった。
戦前、神中線沿線には厚木海軍飛行場(現・厚木基地)などが整備され、軍需輸送が重要視された。1945(昭和20)年6月からは親会社・東急が運行を担い、路線は「東急厚木線」と称されたが、戦後は東急から独立し、現在の「相模鉄道」となった。
路線図は1927(昭和2)年に発行された『神中鉄道 線路案内』。作者の金子常光(つねみつ)氏は、日本を代表する鳥瞰図絵師・吉田初三郎氏の弟子で、独立後は初三郎氏のライバルとして多くの鳥瞰図作品を世に送り出した。「神中鉄道」は1925(大正14)年に「相陽鉄道」より厚木~大山~平塚の免許を譲り受けており、路線図にも破線で計画線が描かれているが、工事は思うように進まず1933(昭和8)年に免許は失効、実現しなかった。