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明治・大正にできた諸施設

明治中期の町村制の施行により、上渋谷・中渋谷・下渋谷の3村を中心に渋谷村が形成された。この時期、鉄道網の整備に加えて、かつての大名屋敷跡などを利用して、さまざまな施設が誕生したことで、渋谷の街は大きく発展を遂げた。明治後期には渋谷村は渋谷町となり、さらなる発展につながっていく。


「宮下橋」や「宮下公園」の名前の由来となった「梨本宮邸」 MAP __

現在の「美竹公園」の付近に約2万坪の敷地を誇り、「青山通り」に表門を持ち、「東京市電」の「青山車庫」と隣接していた。「梨本宮家」は、1870(明治3)年に創設された新設宮家の一つだったが、「太平洋戦争」後の1946(昭和21)年に廃止され、皇族邸も売却された。「渋谷川」に架かる「宮下橋」や「宮下公園」は、「宮家の下」を意味しており、「梨本宮邸」が渋谷にあったことに由来している。【画像は明治末期~昭和前期】

「梨本宮邸」の敷地は、現在の渋谷一丁目18~20番一帯と広大であった。跡地は公共施設、マンション、「美竹公園」などになっている。写真は「美竹公園」から「宮下公園」(写真中央)を望んだもの。「宮下公園」は、2016(平成28)年、渋谷区により再整備が計画され、翌年「立体都市公園制度」(2004(平成16)年創設)を活用した「新宮下公園等整備事業」が着工。2020(令和2)年、複合商業施設「ミヤシタパーク」が開業、その屋上に新しい「宮下公園」が開園した。

「日本赤十字社病院」が広尾に移転 MAP __

博愛社病院」は、1886(明治19)年、飯田町に開設され、1887(明治20)年に「日本赤十字社病院」となり、1891(明治24)年に現在地の広尾に移転した。その後、1972(昭和47)年に「日本赤十字社医療センター」となっている。広尾への移転の際、1890(明治23)年に建てられた病院病棟は、「赤坂離宮」を設計した建築家・片山東熊によるもので、現在は愛知県犬山市の「博物館明治村」に移築・保存されている。【画像は大正期】

「日本赤十字社本社」が直轄する首都圏の医療拠点となっている「日本赤十字社医療センター」。

「関東大震災」まで稼働していた「渋谷発電所」 MAP __

大正期の「東京市電気局」(現「東京都交通局」)は、市電の運行のほか、電燈の供給も行っており、1911(明治44)年に前身である「東京鉄道株式会社」から受け継いだ3ヵ所の火力発電所も運営していた。そのうちの一つが「渋谷発電所」。1923(大正12)年の「関東大震災」で被災し廃止されるまで稼働していた。画像は1919(大正8)年の地図で、南東に見える発電所の地図記号が「渋谷発電所」。【図は1919(大正8)年】

現在は「都営バス渋谷自動車営業所」となっている。

大山町に存在した遊覧施設「大山園」 MAP __

現在の大山町には、大正時代に「大山園」と呼ばれる遊覧施設があった。この場所は元々、明治初期に木戸孝允が農園を開いた場所であったが、1913(大正2)年に当時の所有者、鈴木善助が遊覧施設「大山園」を開園し、一般に開放した。約76,000坪の広さがあり、緑豊かな場所だった。1927(昭和2)年に「小田原急行鉄道」(現「小田急電鉄」)が開通、近くに「代々幡上原駅」(現「代々木上原駅」)が開業したことで周辺は宅地化が進み、1931(昭和6)年に「西武グループ」の前身である「箱根土地株式会社」が「代々木大山分譲地」として開発したことで、現在のような住宅地に変わった。図は1928(昭和3)年に発行された「京王電車沿線名所図絵」の一部で、「大山園」が大きく描かれている。【図は1928(昭和3)年】

写真は「大山園」の夏の名物だった「白石滝」。【画像は大正期】

数々の名士が暮らした現在の渋谷区大山町は渋谷区内で最も高い場所に位置し、高級住宅地を形成している。


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