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古地図に見る「環濠都市」堺



三方に濠をめぐらせた町

『堺大絵図改正綱目』

『堺大絵図改正綱目』【図は1735(享保20)年】

江戸時代中期、1735(享保20)年に作られた『堺大絵図改正綱目』に、当時及び後にできる主な施設などを示したものである。北・東・南の三方を濠、西は海に囲まれており、「環濠都市」だったことがわかる。1615(元和元)年の「大坂夏の陣」の戦いの中で堺の町は全焼したが、「元和の町割」により、碁盤目状の街路が区画された。地図中央縦に延びるのが「大道筋」、横に延びているのが「大小路筋」である。

現在の「大浜公園」や「堺旧港」がある場所には海が描かれている。1704(宝永元)年に「大和川」が付替えられたことにより、堺の沿岸には「大和川」から運ばれた土砂が堆積し、陸地化が進んだ。

「妙國寺」や「宿院頓宮」、「南宗寺」など現在も同じ場所に存在している施設も多数描かれている。



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