1920(大正9)年、「東中野駅」東口付近に「割烹料亭壽々木家」が創業。1935(昭和10)年に東京府(現・東京都)内で初の専門結婚式場として「日本閣」を開業した。写真は昭和戦前期、「日本閣」にあった庭園の「大瀑布」。
高円寺・中野の一帯には学校・文化施設が多くあるが、その中には明治後期から昭和戦前期にかけて開設されたものもあり、この地域の文化的な発展の礎となった。「哲学堂公園」は1904(明治37)年に哲学者・井上円了氏が精神修養の場として建設したもの。また、大正時代、東中野に料亭として開かれた「日本閣」はのちに、東京を代表する結婚式場へ発展した。戦後に大学となる「高千穂高等商業学校」は大正期に、「女子美術学校」は昭和戦前期に現在地に移転してきた。