のちに「秋葉原貨物取扱所」「秋葉原駅」ができる場所は、江戸期には町人地が拡がっていたが、1870年1月(明治2年12月)の大火で焼失、その後は、火除地として空地になっていた。ここに町を火災から守るための神社「鎮火社(ひしずめしゃ)」が創建され、地元の人から神社は「秋葉さん」、空地は「秋葉原(あきばはら)」と呼ばれるようになり、大道芸や見世物などの興行や、貸自転車・貸馬なども行われる行楽地となっていた。
旧・神田区一帯は、軌道(馬車鉄道・路面電車)の開通は早く、市内の交通の要衝であった。一方、鉄道駅は「秋葉原貨物取扱所」こそ1890(明治23)年開設と早かったが、旅客駅は1904(明治37)年の「御茶ノ水」駅が最初で、以降「水道橋駅」「万世橋駅」、大正期に「神田駅」「秋葉原駅(旅客駅)」などが開業と、山手線内の主要駅としては比較的遅い時期の整備であった。震災復興期には現在の東京メトロ銀座線や中央・総武緩行線の整備も進められた。戦後、路面電車は廃止になったが、地下鉄、私鉄の開通もあり、現在も多くの鉄道が集まる交通の要衝となっている。