「関東大震災」で鎌倉の社寺は大きな被害を受けたが、復興の中で文化財を保護するため、1928(昭和3)年、「鶴岡八幡宮」の境内に「鎌倉国宝館」が建設された。建設にあたっては「鎌倉同人会」をはじめとする地元の人々によって寄付が寄せられた。鎌倉近郊の社寺の代表的な作品などのほか、肉筆浮世絵を多数保管・展示している。
明治時代以降、鎌倉は政財界人や華族らの別荘地として脚光を浴びるとともに、多くの文化人も訪れるようになった。「関東大震災」以降は被害の大きかった東京からさらに文士が流入し、文壇を形成、いつしか「鎌倉文士」と呼ばれるようになった。また、文化財を保護していく活動も活発になり、「鎌倉国宝館」なども建設された。