1923(大正12)年の「関東大震災」では、深川区は区域の85%、世帯の92.7%を焼失する大きな被害を受けた。のちに城東区となる亀戸町・大島町・砂町では火災の出火はなかったが、深川区・本所区に隣接する地区で、延焼による被害を受けた。それぞれの焼失区域は、亀戸町が24%、大島町が18%、砂町が29%であった。倒壊した家屋は3町で全壊450戸、半壊538戸を数えた(各数値は1926(大正15)年刊の『大正震災志』による)。地図は『大正震災写真集』に掲載された『東京市附近火災地域及罹災民集団地要図』の一部、現在の江東区部分で、当時の区名・町名、界線を追記している。赤い線で囲まれた部分が火災地域となる。
深川区(現・江東区の西部)は「関東大震災」で大きな被害を受けた。昭和初期に震災からの復興を果たすも、「太平洋戦争」の「東京大空襲」では、深川区・城東区(現・江東区)はほぼ全域を焼失した。その後、戦災からの復興を果たし、現在では都心近接の住宅エリアとして発展している。