現在の新所沢一帯は、かつては山林や畑が広がっており、一部地区は昭和20年代に「所沢飛行場」の離職者や復員、引揚の人々によって開拓された。1957(昭和32)年に「北所沢ニュータウン計画」が始まり、1959(昭和34)年に「日本住宅公団」(現「UR都市機構」)の「新所沢団地」の入居が開始、宅地の分譲も始まった。航空写真は、撮影年代は不明ながら、周辺の開発の様子から、1960(昭和35)年頃の撮影と思われる。「新所沢団地」では、1989(平成元)年より建替事業が進められ、駅前には新たに民間のマンションも建設された。
所沢市は「日本住宅公団」による「新所沢団地」の開発以降、住宅都市としての性格を強めた。「小手指駅」の周辺で「西武鉄道」による大規模なマンション群「小手指ハイツ」が建設されるなど、駅の開設と周辺の区画整理により、多くの住宅が誕生した。近年は中心市街地である「銀座通り」沿いで再開発が進み、タワーマンションが建ち並ぶようになった。現在、「所沢駅」西口の「所沢車両工場」跡地で大規模な土地区画整理事業・再開発事業も行われている。