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若者の集まる街、文化・商業施設の進出

「関東大震災」後の昭和戦前期に発展した渋谷は、「太平洋戦争」が終わると、さらなる進化を遂げる。現在の「SHIBUYA109」につながる「三丸洋品店」が開店し、1956(昭和31)年にはプラネタリウムをもつ、東口の人気スポット「東急文化会館」が開館した。1961(昭和36)年には「渋谷センター商店会」が結成された。


空から渋谷の遊覧が楽しめた「ひばり号」 MAP __

1951(昭和26)年、「東横百貨店」と「玉電ビル」の屋上を結ぶ、子ども限定のロープウェイ「ひばり号」が開業した。定員は12人で、約75mの距離を往復していたが「玉電ビル」の改築のために1953(昭和28)年に廃止された。この「ひばり号」が動く様子は、1952(昭和27)年に公開された映画『東京のえくぼ』にも登場する。写真右下の交差点は現在のスクランブル交差点。【画像は1952(昭和27)年】

画像は2014(平成26)年に「東急百貨店 東横店西館」の屋上からスクランブル交差点を撮影したもの。「東急百貨店 東横店西館」は「渋谷駅周辺開発プロジェクト」に伴い、2020(令和2)年に営業を終了した。【画像は2014(平成26)年】

戦後のヤミ市から発展した「道玄坂下」周辺

「道玄坂下」周辺は戦後にヤミ市として賑わいをみせ、「恋文横丁」でも有名になった。1910(明治43)年に現在の小石川で創業した「西村果実店」(現「渋谷西村總本店」)は、1935(昭和10)年に「道玄坂下」近くに高級果実店を開いた。現在もこの地で営業を続けており、本社機能も道玄坂店に移している。他にも、1948(昭和23)年には洋品店「ミツマル」が「道玄坂下」の三角地帯に開店し、現在、その場所には「SHIBUYA109」が建っている。「SHIBUYA109」に隣接する「渋谷プライム」がある場所には、かつて月賦百貨店の「緑屋 渋谷店」があった。
MAP __(渋谷西村總本店) MAP __(SHIBUYA109) MAP __(渋谷プライム)

写真は「渋谷駅」前のスクランブル交差点付近から、「道玄坂下」方面を撮影したもの。【画像は1963(昭和38)年】

通称「イチマルキュウ(109)」として知られる「SHIBUYA109」をはじめ、「道玄坂下」周辺には若者に人気の店が集まり、多くの人で賑わう。

人気のプラネタリウムがあった「東急文化会館」 MAP __

1956(昭和31)年、「渋谷駅」の東口前に日本を代表する建築家・坂倉準三氏が設計した「東急文化会館」がオープンした。地上8階、地下1階の「東急文化会館」には「渋谷パンテオン」など4つの映画館やレストラン、店舗のほか、屋上に「天文博物館五島プラネタリウム」が設置され、渋谷の文化スポットとして人気を博した。その後、建物の老朽化や東横線「渋谷駅」の移設などで、2003(平成15)年に解体された。【画像は1956(昭和31)年】

「東急文化会館」は2012(平成24)年、高層ビルの「渋谷ヒカリエ」に生まれ変わった。

「宇田川」周辺に開かれた「渋谷センター街」 MAP __(渋谷センター街) MAP __(峰岸ビル跡)

昭和30年代、渋谷を流れる「渋谷川」の支流「宇田川」旧流路周辺が区画整理され、「渋谷センター街」が「渋谷駅」前から宇田川町方面への道路として開かれた。メインの道路と共に、宇田川町の商店街など周辺一帯を「渋谷センター街」と呼ばれることが多い。「渋谷公会堂」「渋谷ロフト」「渋谷パルコ」などへの経路として通行する人も多く、飲食店・衣料品店などが充実し、流行に敏感な若者も多く集まる街となった。

写真は1965(昭和40)年頃の「道玄坂下」から延びる「渋谷センター街」。右側に映る「峰岸ビル」には「渋谷宝塚劇場」などが入っていた。【画像は1965(昭和40)年頃】

宇田川町エリアに続く「渋谷センター街」は多くの人で賑わい、平日は5万人~6万人、休日には7万人~8万人が1日に訪れるといわれる。


「東京オリンピック」の競技場と選手村

「1964年東京オリンピック」開催時の「国立代々木競技場体育館」

「1964年東京オリンピック」開催時の「国立代々木競技場体育館」。現在の「NHK放送センター」付近から望んでおり、手前が「第二体育館」、奥が「第一体育館」となる。
【画像は1964(昭和39)年】

1964(昭和39)年に開催された「東京オリンピック」(以下「1964年東京オリンピック」)のメイン会場は、渋谷に近い代々木・神宮地区と駒沢地区であり、このオリンピック開催によって、渋谷周辺は大きく変化した。

「1964年東京オリンピック」の期間中には、区内の「参宮橋」付近に「代々木選手村」が開設された。元々、米軍の「ワシントンハイツ住宅地区」があった場所で、米軍との交渉を経て返還され、オリンピック開催時の選手村となり、9月から11月まで世界各国のアスリートが集まった。オリンピック閉幕後、一部は「オリンピック記念青少年総合センター」となり、青少年のための宿泊施設などに使われている。 MAP __(オリンピック記念青少年総合センター)

同じく、「ワシントンハイツ住宅地区」の跡地を利用して1964(昭和39)年に誕生したのが建築家・丹下健三氏の設計による「国立代々木競技場体育館」。昭和を代表する名建築として有名なこの施設は、当時、世界に類のない高張力による吊り屋根方式を用いて建設され、観客席に柱が1本もない独特の構造に世界が驚いた。「第一(本館)」と「第二(別館)」の二つの体育館をもち、「1964年東京オリンピック」開催時には、「第一体育館(オリンピックプール)」で水泳競技が行われ、「第二体育館」はバスケットボール競技の会場となった。この二つの体育館はオリンピック閉幕後、様々なスポーツ大会の会場のほか、コンサートなど各種イベントでも使用されている。2021(令和3)年の「東京2020オリンピック」ではハンドボール、「東京2020パラリンピック」では車いすラグビーとバドミントンの競技会場となった。
MAP __(国立代々木競技場体育館)

「LINE CUBE SHIBUYA」

写真左の建物が「LINE CUBE SHIBUYA」(「渋谷公会堂」)。建て替え前は右側のタワーマンション「パークコート渋谷 ザ タワー」の位置にあった。

同じく1964(昭和39)年には「渋谷公会堂」も完成した。ここも「ワシントンハイツ住宅地区」の跡地の一画で、「1964年東京オリンピック」開催時にはウエイトリフティング競技が開催され、三宅義信選手が、大会での日本人金メダル獲得第一号となる舞台になった。建て替えのため、2015(平成27)年に一旦閉館となり、2019(令和元)年に新しい「渋谷公会堂」が開館、命名権により「LINE CUBE SHIBUYA」と呼ばれるようになった(建物の位置は新旧で若干異なっている)。
MAP __(旧・渋谷公会堂の場所)MAP __(LINE CUBE SHIBUYA)


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