「相模陸軍造兵廠」には終戦後の1945(昭和20)年9月に米陸軍が進駐、1949(昭和24)年に接収され、兵器・軍用車両などの修理を行う「米陸軍横浜技術廠相模工廠」となった。この工廠には日本人労働者も多く、その通勤のため、1950(昭和25)年に国鉄(現・JR)横浜線「相模仮乗降場」が再開(戦中に一時使用されていた)され、1957(昭和32)年に駅に昇格し「矢部駅」となった。1961(昭和36)年に「相模倉庫地区」と統合され「在日米陸軍相模総合補給廠」となった。【画像は1951(昭和26)年頃】
現在の「相模総合補給廠」の「西門」。ゲートは柱のみ残っている。JR横浜線「相模原駅」の北側約17haは「一部返還地」として2014(平成26)年に返還され、また、約35haは「共同使用区域」として2015(平成27)年に相模原市と米軍の共同使用が開始された。2017(平成29)年、「一部返還地」を使用して「相模原駅」北口と「町田街道」方面を結ぶ「南北道路」が開通、翌年には「南北道路」から橋本方面へ向かう「東西道路」も開通し地域の交通利便性が向上した。また「共同使用区域」の一画には、2020(令和2)年に「相模原スポーツ・レクリエーションパーク」が一部開園、順次拡張され2024(令和6)年に全面開園(約10ha)となった。今後、返還地では新たなまちづくりが進められる。
MAP __(相模原スポーツ・レクリエーションパーク)