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海苔養殖発祥の地・大森

「東京湾」のうち、大森が面しているあたりは遠浅の海で、適度な潮の干満があり、「多摩川」や「目黒川」などから栄養分が運ばれてくるため、海苔の産地としての好条件がそろっていた。大森での海苔の養殖は江戸時代から盛んに行われてきたが、戦後の埋立地の造成などにより1962(昭和37)年に漁業権を放棄。海苔の養殖の歴史に幕を閉じた。



海苔のまち・大森

森ケ崎の海苔干場の様子

森ケ崎の海苔干場の様子。【画像は大正期】

大森は海苔養殖発祥の地。現在は海岸での海苔の養殖は行われていないが、街には海苔問屋が多数残っているなど海苔文化が息づいている。2008(平成20)年には、海苔養殖の歴史と文化を伝えることを目的とした「大森 海苔のふるさと館」が開館した。

「大森 海苔のふるさと館」

2008(平成20)年に開館した「大森 海苔のふるさと館」。
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大森の海苔の歴史は、江戸時代に始まる。海苔は潮の干満があり、豊かな養分を運んでくる川があり、海水と淡水が適度に混じる静かな海でよく育つといわれているが、大森から羽田沖合にかけての海岸にはこの条件がそろっていた。1746(延享3)年から、大森村は「海苔業税」を幕府に納めるようになり、徳川将軍家や御三家などに献上され、「御前海苔」と呼ばれる最上品の海苔を作る産地となっていった。大森で育まれた養殖技術と乾海苔(ほしのり)の加工技術は、江戸時代の終わり頃から各地へと伝播し、新しい生産地が誕生していった。「東京湾岸」では各地で海苔の生産が行われていたが、1903・04(明治36・37)年頃の統計によると、羽田から葛西までの海苔生産額のうち、大森だけで66%を占め他を圧倒していた。

「大森ふるさとの浜辺公園」

2007(平成19)年に開園した「大森ふるさとの浜辺公園」。現在、人工海浜の一画で、かつて行われていた海苔づくりの方法で海苔の生育観察が行われている。
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しかし、昭和30年代になると高度経済成長に伴う工場排水による汚染が進み、また、戦中に中断されていた「東京湾」の埋め立てが再開され、1962(昭和37)年、海苔漁従事者は漁業権を放棄。大森の海苔養殖の歴史は幕を閉じた。この後、大森の海苔店は、海苔の加工問屋となり、全国の産地から運び込まれる海苔を「火入れ」「焼き」加工し、出荷する業務を行うようになった。


大森海岸における乾海苔の製造工程【画像は昭和戦前期】

夏期に篊(ひび:養殖する海苔を付着させるための木や竹の枝)作りを行う。

9~10月頃、くじ引きをして養殖場を公平に分配しを立てていく。これに海苔が付着し繁殖する。

11月下旬から3月までが収穫期で、干潮時に海苔採りを行い、その日のうちに干しあげた。

寒中小舟で海苔摘みをする。

摘んだ海苔を洗う。

海苔を切断する。

海苔を抄く。

乾燥させる。

完成した乾海苔を整理したあと、売りに出されていく。



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