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行楽地の形成と文士村

明治期、「東京湾」で初めてとなる海水浴場が大森に開設され、森ケ崎では鉱泉街が形成された。行楽地・保養地としての様相を見せていくなか、馬込村周辺には「関東大震災」後から多くの文化人が移り住むようになり、のちに「馬込文士村」と呼ばれるようになった。


「東京湾」初の海水浴場が大森に MAP __

1891(明治24)年、現在の大森本町一丁目一帯の海浜に「東京湾」で初めての海水浴場「八幡海水浴場」が開設された。「八景園」の経営者・久我邦太郎が小屋がけの脱衣預かり所を設置して開いたもので、1893(明治26)年には料理屋「伊勢源」と宿泊施設も開業し、水泳客の来遊が盛んになった。1914(大正3)年には海水浴業者の組合も結成され、7月1日の海開きには打ち上げ花火を催し、シーズン中には女舟子の海苔採り舟競争をはじめ、宝探しなどの余興もあったという。【画像は明治後期】

戦前に「平和島」の埋め立てが開始されると、「八幡海水浴場」は少し南に移り、戦後も営業を続けていた。写真はかつての海岸線付近を通る「国道15号」。左手側が海岸であった。

鉱泉街として栄えた森ケ崎 MAP __

1899(明治32)年、「無縁堂」(現「大森寺」)の一角を掘ったところ鉱泉が発見された。この鉱泉は病への効用が評判となり、やがて料理店の「寿々元」や旅館「光遊館」「盛平館」「帝国館」など、続々と料亭・旅館が建ち並ぶようになり、鉱泉街が形成された。東京近郊の保養地として栄えたが、昭和に入ると戦争の影響を受け衰退していった。写真は鉱泉街にあった「帝国館」。【画像は明治後期】

「森ケ崎鉱泉」は、その効用が認められたことを記念して、1901(明治34)年に記念碑が建てられた。「大森寺」内にその「森ケ崎鉱泉源泉碑」が残っている。

文化人が集まった「望翠楼ホテル」と「大森ホテル」MAP __(望翠楼ホテル跡地) MAP __(大森ホテル跡地)

1912(大正元)年、横浜で生糸問屋を営んでいた若尾幾太郎が新井宿(現・山王三丁目)に「望翠楼ホテル」をオープンした。木造の洋風2階建てのホテルで、大正デモクラシーに伴い文化活動が盛んになると、文化人が集まるようになった。しかし1922(大正11)年、北に広い敷地を有した「大森ホテル」が開業すると、経営不振に陥り、昭和初期に廃業に至った。「大森ホテル」は外国人の誘致も視野に入れていたほか、日本人客向けに敷地内に神社を建てるなど工夫が凝らされていた。画像は「大森ホテル」。【画像は大正末期~昭和初期】

現在、「望翠楼ホテル」の跡地は住宅地に、「大森ホテル」の跡地は「山王公園」となっている。

図は大正末期~昭和初期の「大森ホテル」の地図。周辺にあった「大森駅」「加納邸」「射的場」「望翠楼ホテル」などとの位置関係がわかりやすく描かれている。「八景園」の敷地には「住宅地」の記述が見られ、この時期には住宅地化が進んでいたと思われる。【図は大正末期~昭和初期】


文士・芸術家が集まった「馬込文士村」

「馬込文士村の住人」のレリーフ

「天祖神社」脇の階段に設置されている「馬込文士村の住人」のレリーフ。 MAP __

現在の大田区のうち、「大森駅」から「馬込駅」にかけての一帯は、明治期から1932(昭和7)年に大田区の前身である大森区の一部となるまで、東京府荏原郡の入新井村(1919(大正8)年より入新井町)・馬込村(1928(昭和3)年より馬込町)であった。

明治初期に官営鉄道(現・JR東海道線)が開通すると、入新井村のうち「大森駅」西側の高台を中心としたエリアは高級住宅地・別荘地として発展する一方、画家・川端龍子、『赤毛のアン』の翻訳家・村岡花子、「大森の貴婦人」と呼ばれる歌人・片山広子など、文士・芸術家らも移り住むようになっていった。文士・芸術家たちの会合が開かれるようになり、「大森駅」に近い「望翠楼ホテル」では「大森丘の会」が開かれていた。

1923(大正12)年に「関東大震災」が発生すると、被災者の多くが東京近郊へ移り、馬込村でも交通機関などの発達を理由に人口の増加が見られ、多くの文士・芸術家も移り住むようになった。きっかけとなったのが震災直前から馬込村に住んでいた尾﨑士郎、宇野千代の夫妻。尾﨑は次々と作家の仲間を馬込へ勧誘、今井達夫や川端康成、藤浦洸、間宮茂輔など数多くの作家たちが集まり、互いの家を行き来するなど交流を深めた。尾﨑士郎や村岡花子のように生涯を馬込で過ごした人もおり、馬込は多くの文学作品に描かれている。

作家の榊山潤は、著書『馬込文士村』の中で「馬込には他に見られない特種な雰囲気が生れ、私たちはその渦の中で、ただがやがやとおもしろおかしい毎日をすごした。」と当時を振り返っている。現在、文士たちの住んでいた場所には記念館や居住跡案内板があるほか、「大田区立山王会館」には「馬込文士村資料展示室」が設けられており、さまざまな場所で彼らの足跡をたどることができる。



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