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戦後の復興と発展

戦後の霞ヶ関・永田町は、戦前から引き続き、国の三権の中心地として発展する一方で、「国立国会図書館」や「東京ヒルトンホテル」、「霞ヶ関ビルディング」といった時代の要請に応えた先進的な施設も誕生。近年は再開発などにより高層ビルが増える一方で、明治・大正・戦前など、各時代の建物も保存され、歴史と機能性を併せ持つ街へと進化している。


日本初の超高層ビル「霞が関ビルディング」の建設 MAP __

1965(昭和40)年、「三井不動産」は「霞会館」を建て替える形で、日本初の超高層ビル「霞ヶ関ビルディング」の建設に着手した。写真は1967(昭和42)年頃の建設中の様子。1968(昭和43)年に開業となり、最上階には展望回廊「パノラマ36」が設けられ、連日、多くの人で賑わった。【画像は1967(昭和42)年頃】

完成当時の表記は「霞ヶ関ビルディング」であったが、近年は「霞が関ビルディング」と表記される。「霞会館」は現在も「霞が関ビルディング」の敷地の一部を所有し、34階に入居している。写真中央が現在の「霞が関ビルディング」。隣接する「東京倶楽部ビルディング」(写真左)の建て替えや「中央合同庁舎第7号館」(写真右)の建設に合わせ、低層部の大規模リニューアルが行われ、2009(平成21)年に完成、官民一体となった広場空間(写真手前)の創出も行われた。

1961(昭和36)年に開館した「国立国会図書館」の本館 MAP __

「国立国会図書館」は、終戦後の1948(昭和23)年に発足となり、仮庁舎の旧「赤坂離宮」で開館した。同時に本庁舎建設の検討も進められ、同年末に「国会議事堂」の北の「ドイツ大使館」跡地および、その周辺の民有地を取得し、建設されることになった。建物は1954(昭和29)年、設計競技により前川國男氏の案が選ばれ、1961(昭和36)年に第一期工事が完了し新庁舎(現「東京本館」の「本館」の南部分)が開館した。当時の蔵書数は205万冊であった。【画像は1960年代】

その後も整備が進められ、本館は1968(昭和43)年に完成、1986(昭和61)年には隣接して新館も完成している。2021(令和3)年度現在の蔵書数は4千6百万点以上を誇るほか、近年はデジタル化も進められている。

「東京ヒルトンホテル」から「ザ・キャピトルホテル 東急」へ MAP __

1963(昭和38)年、永田町の「星ヶ岡茶寮」跡地に「東京ヒルトンホテル」が開業した。アメリカの「ヒルトン」と「東京急行電鉄」(現「東急」)の合弁会社の経営で、著名人の利用も多く、1966(昭和41)年には、日本公演のため来日した「ザ・ビートルズ」も宿泊している。1984(昭和59)年からは「キャピトル東急ホテル」となった。【画像は1960年代】

「キャピトル東急ホテル」は、2006(平成18)年に再開発などのため閉館。跡地には建築家・隈研吾の設計による地上29階建ての高層複合ビル「東急キャピトルタワー」が建設され、2010(平成22)年に竣工、オフィス・マンションなどとして利用されるほか、ホテルは「ザ・キャピトルホテル 東急」となり営業を再開した。



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