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「帝国議会議事堂」の変遷

「国会開設運動」は、1874(明治7)年、板垣退助らが「民選議院」の開設を求めたことに始まり、その後全国的に広がる「自由民権運動」の中でもその根幹として重要視された。この運動を受け、明治天皇は「国会開設の詔」を1881(明治14)年に表明、9年後の1890(明治23)年に「国会」を開設することになった。1889(明治22)年に「大日本帝国憲法」が公布となり、翌1890(明治23)年に「衆議院議員総選挙」を実施、「貴族院」と「衆議院」による「帝国議会」が開かれた。


「仮議事堂」の建設 MAP __

1881(明治14)年の「国会開設の詔」により、1890(明治23)年に「国会」が開設されることになった。明治政府は「官庁集中計画」の中で議事堂の場所を検討し、1887(明治20)年、現在の「国会議事堂」の場所を建設地として決定、建物の設計も進めた。しかし、予算と工期の関係から、本建築の議事堂の建設は取りやめ、麹町区内幸町二丁目(現・千代田区霞が関一丁目)に「仮議事堂」を建設することになり、1890(明治23)年に木造の「仮議事堂」が完成、「帝国議会」が開催された。建物に向かって右が「貴族院」、左が「衆議院」であった。しかし、数ヶ月後となる1891(明治24)年に火災で焼失、さらに1925(大正14)年にも火災で焼失し、その度に焼け跡には「仮議事堂」が建設された。写真は明治後期に撮影された二代目の「仮議事堂」の「衆議院」側。【画像は明治後期】

「仮議事堂」は1936(昭和11)年まで使用された。現在、「仮議事堂」の跡地には「経済産業省」の庁舎が建っている。

「帝国議会議事堂」の建設

1906(明治39)年より新議事堂の建設が再び検討されるようになり、一次中断を経て、1918(大正7)年から翌年にかけて、新議事堂の意匠設計案の懸賞競技が行われた。この当選案を参考に設計が行われ、1920(大正9)年に着工となった。写真は1927(昭和2)年に撮影された鉄骨組立の様子。【画像は1927(昭和2)年】

「帝国議会議事堂」の竣工 MAP __

「帝国議会議事堂」は1936(昭和11)年、竣工を迎えた。竣工当時、中央塔は日本一の高さを誇る建築物であった。【画像は昭和戦前期】

写真は現在の「国会議事堂」。

終戦間もない頃の「帝国議会議事堂」

終戦後の食糧難の時代、空き地は畑とされた。「帝国議会議事堂」前も芋畑となっていた。写真は1946(昭和21)年の撮影。「帝国議会」は1947(昭和22)年に廃止、現憲法の施行とともに「国会」となった。また「貴族院」も廃止され、「参議院」となった。【画像は1946(昭和21)年】

写真は1946(昭和21)年頃の「帝国議会議事堂」前。米軍関係のスクールバスが停まっている。【画像は1946(昭和21)年頃】


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