『区の境界変更について』の図面。【図は1949(昭和24)年作成】 MAP __
「荒川」の上流では、1918(大正7)年から「荒川上流改修工事」が行われ、現・板橋区北側の区間は、昭和初期までに直線的に改修された。これにより、「荒川」の新流路右岸側に、埼玉県戸田町(現・戸田市)の土地約7万坪が川を挟んで飛び地として残されることになった。
この飛び地は、大工場が立地するなど、戸田町の工業地として発展し、また宅地としても利用されていたが、東京都の治水対策、住民の利便性向上などを理由に、1950(昭和25)年、都県境の変更と板橋区への編入が行われ、舟渡三丁目(現・舟渡四丁目の大部分)となった。
写真は1954(昭和29)年の「戸田橋花火大会」。当時の「戸田橋」越しに花火を撮影している。
【画像は1954(昭和29)年】
翌1951(昭和26)年、この都県境変更・編入を記念し、戸田町の主催、板橋区の後援で「戸田橋花火大会」が開催され、翌年からは戸田町・板橋区がそれぞれ主催として同日開催するようになった。写真は1954(昭和29)年の「戸田橋花火大会」の様子。板橋区側は1961(昭和36)年に「区民納涼花火大会」、1979(昭和54)年に「板橋花火大会」と改称を経て、1988(昭和63)年に「いたばし花火大会」となったが、現在も「戸田橋花火大会」と同日に開催されている。