素材にこだわり、作りは丁寧に。
永く楽しく使えるものを世に出していく
妥協せずに良質のモノ作りにこだわり、「本物」の意味を伝え、ユーザーのライフスタイルを、好きなモノをもつことで心を豊かにしようという心意気をもつ。そんな革製品ブランド「ブルックリン」の創業者でありディレクターの草ケ谷和久さんにお会いした。
豊かなアメリカ文化を享受し、日本のモノ作りに貢献
青山の閑静な住宅街の中にある「ブルックリンミュージアム」。店内から優しそうな笑顔の紳士が現れた。カラフルなポケットチーフをちらりと見せた赤のタータンチェックジャケットをさらりと着こなす。流石というほかない。
御年64歳。昭和26年生まれの草ケ谷さんは、戦後流れ込んできた豊かなアメリカ文化をたっぷりと享受した世代だ。音楽はフォークソングから始まり、エレキギターのサウンドにカルチャーショックを受け、その後はビートルズへ。ファッションはVAN、JUNなどいわゆる「三つ文字」といわれるブランドがお気に入りだった。中でもVANは高校時代から影響を受け、自らのファッションセンスを磨いていった。
しかしそれは、明治生まれのお父様には受け入れがたいものがあったのだろう。草ケ谷さんの実家は、神田末広町のラーメン店。高校を出て実家を継いだものの、草ケ谷さんの理想はより高いものとなり、次第にお父様の意見とは食い違うようになっていく。「自分がやりたいことは本当にこれなのか」そう突き詰めた結果、後継を解消し、家を出ることとなった。
「今から思えば若くて生意気でしたね」
草ケ谷さんは穏やかに笑う。けれどもその、自分の思いを貫く妥協しない性格が、もう30年以上一流の革製品を市場に提供し続けている、大きな力となっていることは間違いないだろう。
家を出た若き草ケ谷さんは、友達の伝手からアパレル関係の会社に就職。その後28歳で独立し、1979年「ブルックリン」を創業した。
もともとは下町出身。クラスには必ず職人の家の子が何人かいるような環境で育っている。草ケ谷さんの叔父もまた、鞄職人のひとりだった。服飾雑貨の会社を立ち上げる、という草ヶ谷さんの周りには「俺たちが作ってやるから、お前売ってこいや」と言ってくれるような職人たちが、自然と集まっていたのだ。
「ブルックリン」を創業し、
日本の服飾業界を影で支える
アメリカ文化に憧れがあったことや、日本の革業界に自由な空気を吹き込みたいという思いもあり、会社の名前はニューヨークの地名にある「ブルックリン」からとった。
ファッション製品の問屋としてスタートしたブルックリンは、やがて自社ブランドとしてソックスをはじめとする小物を企画・生産し、ネクタイ、革ベルトなどいわゆる服飾雑貨全般を取り扱っていく。セレクトショップの先駆けであるシップス、ビームス、ユナイテッドアローズ、ベイクルーズなど、様々なショップから声がかかった。
「モノに対して貪欲でしたね、あの頃は」
根っからの服好きであったそんな草ヶ谷さんは、今も良き先輩であり、日本の服飾業界を背負ってきた「仲間」たちと歩みをともにしていった。シップスの中村裕氏、ビームスの重松理氏(現・ユナイテッドアローズ会長)、トゥモローランド創業者の佐々木啓之氏……。少しばかり年上の兄さんたちに草ケ谷さんは可愛がられた。その中には、今もなおゴルフ仲間として付き合いが続いている方もいる。
当時は、商談に行くと「今回の海外出張では、こんなニットやパンツを買い付けてきたよ。だから、これに合うような靴下を作ってよ」と言われ、その素材や色の特徴を活かした製品を作った。海外の流行を取り入れながら、いかに日本らしいモノづくりをしていくか。互いに語りあい、実際に作り、身に付け、売り、反応を見て、やり直した。共同でモノ作りをしてきたこれらの経験が非常に勉強になった、と草ケ谷さんは感じている。
良いモノとは何か。
ジレンマを抱えつつも、自分を曲げない
1990年代頃には、主力アイテムを革小物に照準を合わせていく。
しかし、革小物に集中したものの、草ケ谷さんにとっては悩ましい状況が続いていた。それは、「良いモノとはなにか」という答えが、セレクトショップ側となかなか一致しないことである。問屋としての限界が、そこにあった。
だが草ケ谷さんにとって、その答えはシンプルだ。
素材が良く、作りが丁寧な事は大前提。その上で、使っていて、その人や周りの人まで楽しくさせてしまうモノ。そして、価格以上の価値を感じていただけるモノ。
これがブルックリンの考える「良いモノ」なのだ。
とはいえ、あるショップにとっては、良いモノとは「ブランド」であったり、また別のショップにとっては「素材」だったりする。会社によって違う価値観が存在する。10万円の商品を作ろう、と提案すると「これを6万円で作って欲しい」と言われてしまう。
「そうなると、素材のレベルを落とすか、手間暇を削るしかない。それなら、うちが作らなくてもいいのではないか? というジレンマをいつも抱えていました」
色の提案をしても「そんな色は売れないよ」と言われてしまうこともあった。
「でも、スーツのポケットから覗く財布が、いつも黒かチョコ色ばかりではつまらないでしょう? 財布のステッチだって、革の色とちょっと違う色なら楽しいはずです。良い素材を使い、手間暇をかけてていねいにモノを作る。さらに『良いモノとは何がよいのか』をユーザーに伝えて、納得した上で買ってもらう。そうしたいと切実に思いました」
ユーザーに本当のモノの価値を伝えたい。ユーザーの選択肢を広げることで、最終的にはユーザーのライフスタイルを、遊び心のある一歩豊かなものに押し上げることとなるはずだ。その気持ちは募る一方だった。
こだわりを突き詰めて自分の直営店をオープン
このジレンマを解消するために、2002年、草ケ谷さんは遂に、直営店をオープンする。
最初は事務所の軒先のわずか3坪のスペースに商品を並べただけだった。問屋業も続けながらではあるが、それでも、思う存分こだわる商品を作り、ユーザーと直接話ができるようになった。
「いやあ、解放されましたよ。好きなことができるんだから」
店をオープンすると、イギリスのセレクトショップ「Browns」、イタリアミラノの「PELLUX」など、世界的に有名なショップから声がかかるようになり、取り扱いがスタート。イタリア・ミラノの革小物展示会「82MIPEL」に日本初のブランドとして出展をしたのも2002年のことだ。これを機に、イギリス・ロンドンの老舗百貨店である「LIBERTY」でも取り扱いが始まり、以降、アメリカなどでも紹介され、ブルックリンは世界的にも認められるようになった。
その後、何度かのリニューアルと移転を経て、現在のような店構えで青山にオープンしたのは2014年のことだ。しっとりと落ち着いた店内では、ユーザーに心ゆくまで製品を見てもらえる。ぱっと見ただけではわからない素材の良さや作りのこだわりについて、じっくりと説明をすることができる。ユーザーは納得して、製品を購入していく。その顔は、満足感にあふれている。
実は、さらにユーザーが真に満足感を得るのは、買って何年もたってからのことだ。
「ここまで手を入れていたんですね」
「とてもいい色になってきました」
「本当に頑丈ですね。もちろんまだ使っていますよ」
購入してから10年以上過ぎても感謝の声を上げてくれるユーザー。草ケ谷さんにとっては一番うれしい、勲章だ。
素材のこだわりと作りのていねいさ
ブルックリンの製品のこだわりとは、どこにあるのだろうか。
素材の中でも特筆すべきは「ヤマト」というブルックリンオリジナルの牛革だ。日本ならではの革製品はできないか? とこだわり抜いて辿り着いたのが「和牛」。それまで、革製品に使う原皮はすべて輸入品であったところを覆した。日本の四季の中で育てられた牛は、日本人の肌のようにキメが細かく、弾力性に優れているという。
「春から夏にかけて肌目がゆっくり開いてね。秋から冬にかけてまた、ゆっくり閉じるんです」
そういった日本の良い素材を使い、作りはまた驚くほど丁寧だ。裏の素材や見えないところの縫い目まで一切、手を抜かない。
通常、財布などは、革の端を折り返してミシンで縫う「へり返し」というやり方で仕上げる。しかし、ブルックリンでは「コバ磨き」といって、革を貼り合わせて磨きをかける仕上げ方法をとっている。とても手間暇がかかるが、ヘリが擦り切れることなく、耐久性は抜群だそうだ。
また「芯通し」という、革の内部にまで染料を入れて染める手法もとっている。芯通しをするためは、それに耐え得る選りすぐりの原皮を使う必要がある。時間と手間をかけ、革の芯まで染め上げることで、革に深い傷がついても中まで色が染まっているため、傷が目立ちにくくなる。
ユーザーが楽しく思えるようなエレガントな配色や、シンプルなデザインながらも機能は時代に合わせて常に進化しているところも、ブルックリン流だ。
使い捨ての時代は終わった
4年前に社長職を長男に継ぎ、現在はディレクターというポジションになった草ケ谷さんだが「良いモノへの思いは強くなる一方なんです」とのこと。
これからは、地球規模で「モノを大切に」を考えるべき時期が来ている、と草ケ谷さんは語る。使い捨ての時代はもう終わった。資源はすでに底を尽きかけている。だとすれば、今ある資源を大切に扱い、時を経て味わいを増していくような商品はより求められていくだろう。
新社長である長男は、草ケ谷さんの想いをしっかり継承する革職人だ。日本の職人の育成や技術の継承に重きをおいてきた草ケ谷さんにとって、頼もしい後継者である。
草ケ谷さんは、かつて自身が親とぶつかった苦い経験を繰り返すつもりはない。
「互いに意見が異なることはありますが、今は思うようにやらせたいと思っています。失敗してもいい。若い今なら失敗も取り返せますから。立ててやりつつ、見守りたいのです」
親子二人三脚。よりよいモノ作りへの挑戦は、まだまだ続く。
(取材・文:宗像陽子 写真:金田邦男)