まちなみイラストを日本中に広めて
地域を活性化する

愛する地元の風景をイラストとして残す活動を始めたおふたりにお話を伺った。地元のみならずその活動は、静かに全国に広がっている。なぜまちなみのイラストは人々の心を揺さぶるのだろうか。

利根川英二(上)
1959年東京生まれ。2008年5月に湯島本郷マーチング委員会を創設。湯島本郷に根差した情報サービスを行いながら地域の住民・商店・企業の地域活性化促進を支援する。株式会社TONEGAWA代表取締役社長
上野啓太(下)
1960年東京生まれ。イラストレーター

10年ぶりに出会った幼馴染と意気投合

千代田線「湯島」駅界隈は、マンション、企業ビルと立ち並ぶ都会ではあるが、一本路地に入れば、ところどころに板塀、苔むした階段、植木と古き良き昭和をほうふつさせる景色がひっそりと息づいている。
湯島天満宮は、駅から5分もかからない。33段の女坂を上りきれば、右手に社務所が見える。1995年に建て替えられてずいぶんと趣きも変わったようだが、50年ほど前に、ここの境内で毎日走り回っていたのが、利根川さんや上野さんたち腕白な子どもたちだった。利根川さんの実家は印刷業を営み、上野さんの実家は床屋さんだった。

ふたりはここ湯島で生まれ湯島小学校に通っていた幼馴染だ。湯島天満宮でカメを眺めたり虫を捕まえたり、自転車を乗り回したりして、毎日遊んでいた。

小学校を卒業すると利根川さんは私立の中学へ進学したため、しばらく小学校の友達との交流は途絶えるが、親同士は変わらず仲が良かった。高校のデザイン科を卒業した上野さんは、印刷業を営む利根川さんの父親にイラストなどを依頼されていたそうだ。

大学を卒業後、父の会社に戻って営業をしていた利根川さんは、お客様にお礼状を送るための絵葉書が欲しいと考えた。できれば会社のイメージが思い浮かぶ地元の風景がいい。
上野さんは、以前から利根川さんの父親に頼まれてイラストを描いていたため、社内では「イラストのうまい上野さん」と知れ渡っていた。「上野さんに頼んでみれば」という案が持ち上がり、連絡をしたところ懐かしい幼馴染だった。
「おお、久しぶり」。10年ぶりに会っても、すぐに子ども時代に戻れるのが幼馴染のいいところだ。

さっそく、利根川さんは上野さんにお茶の水の聖橋の写真を送り、イラストを描いてもらったところ、イメージ通りの絵ができあがり、利根川さんはそれをメッセージカードとしてせっせと使い、顧客に大いに喜ばれた。

湯島本郷百景、誕生

それからしばらくして、デジタル印刷機が登場したことがきっかけで、利根川さんは地域の風景を観光絵葉書にしようと考えた。最初は東大を囲む13の門を撮影してカレンダーにしようと写真を撮って回ったのだが、デジタル印刷機で印刷してもどうも思ったような作品にならない。そこで、以前聖橋のイラストを描いてもらった上野さんに相談。二人で話すうちに次第に、「あそこも描いてみたいね」「よく遊んだよね」と地域の百景をイラストにしたらいいのではないかと盛り上がる。

ただ、地域のイラストを百景として描くことには、先達がいた。それは下田祐治氏の描く「神田百景」である。思いきって下田氏を訪ね「湯島本郷百景をやってみたいけれどいいでしょうか」と聞くと下田氏は「どうぞ、どうぞ」と快く受諾してくれ、さっそく行動を開始。

若いころは地元が嫌いだったという利根川さんにとって、上野さんと二人であちらの路地、こちらの坂道と巡る時間は、いつのまにか「やっぱりこのまちはいいなあ」という再確認をするきっかけともなった。 「なかなか地元の良さって気づかないものなんですよ。それでもまちをめぐり、歴史を掘り起こし、時代を見ていくと自分たちが今ここに住んでいる幸せを感じることにもつながりますし、自分がこの地に生まれた意味を知ることにもなりました」

1か月半ほどかけて、上野さんが何十枚かイラストを仕上げてきた。それを見た利根川さんは「ビビッと来ました。ああー。やっぱりすげーって。自分がやりたいのはこれだと思いました」

2008年には、「湯島本郷百景」は完成し「湯島本郷マーチング委員会」を発足した。マーチングというのはまちがひろがるイメージで「まち+ing」からきている。イラストでまちの魅力を自慢したり、まちおこしにつなげて行く活動という意味を込めた。

改めて、見つめなおしてみると幼い時からずいぶんと変わってしまった景色もあった。これからも変わっていくであろう景色をイラストにとどめておくことは、意義のあることにちがいない。こうして100枚のイラストを、湯島天満宮の宮司に見せ、思いを伝えたところ、その活動を快く応援してくれ、祭礼のときにイラスト展示会を行ったらどうかと協力を申し出てくれた。
湯島天神の回廊でイラスト展を開催し、絵葉書を販売したところ、大盛況となった。

人々は、何を喜んだのだろうか。
「地元の人たちは、『ここ、よく知っている』『懐かしい』と喜ぶし、たまたま湯島天神に来た人は『こんなところがあるのか。行ってみたいね』と興味をもってくださったんです」と利根川さんが言えば「『こんなところを描いてくださってありがとうございました』なんて地元の人に言われたときはうれしかったな」と上野さんもうなずく。

活動を始めたころは「地元の絵葉書なんて作って何になるの?」という反応をする人も少なくはなかったが、2010年にはテレビや新聞にも取り上げられ、次第に好意的に見てくれる人が増えてきた。

「優しさとウソ」のあるイラストの魅力

同じ風景を切り取っても、イラストには、写真と違う力がある。なぜだろうか。
上野さんは、漫画のようなイラストから建物のパースやテクニカルイラストに至るまで、なんでもござれのプロのイラストレーターだが、とりわけまちなみイラストに関しては、気を付けていることがあるという。

「すべてをきっちりと映しこむ写真と違って、イラストにはウソがあるんです」と上野さんは、ちょっぴりいたずらっぽく笑いながら言った。

色は実際よりも、淡い色彩で描く。その方が見ている人の心に、すっとなじむからだという。

また、たとえば、スカイツリーなどのランドマークは、撮影された写真は実際に目に映る像よりずっと小さい。だから目で見えた感覚を大切に、写真よりも大きく描く。

一方で、よりリアルに描くものもある。
「イラスト展で、地元のみなさんは、スカイツリーみたいなランドマークなんて案外見ない。自分の知っているところを自分の目線で一生懸命見るんですよ。そして『ここは自分の通っている会社です』とか『これ私の生まれた家』とか『この自動販売機でいつも飲み物を買う』とか話すんです」
だから、ドローンのような視点で描くのではなく、目の高さで日常をそのまま描く。車がたくさん走っていればそのように。ポストや自動販売機もあるがままに。どうということのない景色でも、人によって思い入れがあるものだ。人は、いつも自分が慣れ親しんでいる光景が、美しいイラストになって目の前に現れるので、はっと胸を突かれる。

加えて、上野さんの筆のタッチだ。「特に、上野は優しい男なんでその優しさがイラストからにじみ出てくるんですよ」という利根川さんに、「優しくはないよ」と照れる上野さんだ。

ちょっぴりのウソとたっぷりのホントと優しさで、人の心にすっとはいるイラストができていく。

湯島本郷マーチング委員会では、絵葉書だけではなく、カレンダー、切手、クリアファイル、一筆箋とさまざまなグッズを作った。
ある人は、遠く離れた友にはがきを出した。ある人は、絵葉書を100枚買って、1か所ずつ巡り歩いてその景色を探した。ある人は自分も絵筆をとって、イラストを描き始めた。遠く離れた地で、絵葉書を眺め、ふるさとに思いを馳せる人や改めて湯島本郷の魅力を身近に感じる人もいた。

行政も、地場企業も、生活者もみな喜んだのだった。

「先義後利」で全国へ広がる活動

利根川さんは、全国どこでも人の営みがある限り、まちなみイラストは意味があるはずだ、それを伝えていきたいと考えた。

湯島本郷マーチング委員会の活動は注目されるようになり、利根川さんは2011年にはコニカミノルタの「ことづくり」テーマのセミナーについての講師として招かれ、地元の風景イラストが新たなビジネスチャンスとなることを語る機会を得た。

2012年、一般社団法人マーチング委員会を設立、登記する。その時点ですでに17の地域から地元でマーチング委員会を立ち上げたいと申し出があったそうだ。

利根川さんは全国を回った。当初は、地方の同業者のもとへ。次第に異業種や行政を巻き込み、参加地域を増やしていく。特に大切にしたのは、あくまでもビジネスありきではないということ。

地元の魅力を再発見&再認識をし、発信していくことが目的であり、利益は後からついてくるという「先義後利」という言葉で、その精神を伝えていった。そのほかは各マーチング委員会に任せている。そのため、その地域ごとの特性を踏まえながらの活動は実に多彩だ。

たとえば、景色だけではなく土地の食べ物もイラストにしている長崎マーチング委員会。東日本大震災の復興に役立てたいわきマーチング委員会、イラストにQRコードをつけてドローンで撮影した現地の動画が見られるようにした石川マーチング委員会などなど。

それぞれ、まちの観光や名産に結び付けて、いかようにも広げられる活動だということがわかる。現在、全国にマーチング委員会は63あり、さらにネットワークは横に広がりつつある。

イラストは、全体の約7割は上野さんが描いている。途中の景色も楽しみながらバイクで見知らぬ土地へ行く。おすすめの場所を聞き、イラストにする場所を決めて描く。その都度新たな出会いや気づきがある。だから楽しみで仕方がないと上野さんは言う。

地元の魅力を再発見し、誇りを持ち、伝えていく

縄文弥生時代から長く続いてきた人々の営みの上に、自分たちは立っている。まち歩きをすることで地域のことを知り、見直す機会になるのは楽しいと二人は口をそろえる。子ども達が、地域に誇りをもって、長く住み、地域の良さを発信していく流れを続けるきっかけになれば、なおうれしい。

全国へ広がる横糸と、地域を深く掘り下げる縦糸が、ますます自由でユニークで豊かな地域の姿を紡ぎだしていく。それが二人には楽しくてたまらないようだ。

(取材:文 宗像陽子 撮影:金田邦男)

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