少しずつ、自らのキャリアを見つめ直す。
自分にあった「未来」を存分に楽しむために
自動車写真家として、長きに渡り第一線で活躍してきた小川さんは、その業界では知らない人はいないほどのプロフェッショナルである。とりわけ、ポルシェのオフィシャルフォトグラファーとしては28年もの間、数々の素晴らしいシーンを撮り続けてきた。
常にあるべきゴールを見据え、完璧な準備を怠らず、見る人々の心に響く一枚を目指してきた小川さん。そんな小川さんは今、自らの還暦を節目として、新しいキャリアを積み重ねようと考えている。
「綿密に計算された一枚」を撮り続けて
被写体そのものを熟知していないと、いい写真を撮ることができない。
これが、小川さんのポリシーだ。
小川さんが今まで購入した新車はざっと70台以上。ここまで乗り替えてきたのには理由がある。「なぜこの車を作ったのか?」というコンセプトからクルマの構造、存在意義まで理解した上で撮影をするからだ。ポルシェに至っては、チームに加わり、トランス・シベリアラリーを走破した。ポルシェの持つ動力性能やドライバーの心理を体感できてこそ、砂漠を疾走するポルシェの写真が生きてくる。そこまでやる体験主義が「小川流」だ。
では、風景の中に佇む車ではどうか。自動車の表情は見るものにストーリーを感じさせ、「今」という時代に存在する意味を問いかけてくる。そのクルマはなぜ海辺に来たのか、なぜ朝日を浴びているのか、なぜビルの谷間にいるのか……。撮影された写真に違和感が全くないのは、偶然ではない。小川さんによって綿密に計算された「写真術」によるもので、それでこそ小川さんの写真は、世界的にも高く評価されてきたのである。
ひとつの節目としての「還暦」にふと思う
小川さんは、昨年(2015年)の暮れに還暦を迎えた。その2~3年前から、還暦を節目に自分のキャリアを一度リセットしたいと考えるようになったという。
長い間、車(特にスポーツカー)を「人間の作った究極のデザイン」として愛し続けてファインダーを覗き、車のバックグラウンドにある時代を切り取り、クライアントの満足のいくものを提供してきた。
しかし、還暦を前にしてふと考えてみると、人間が作ったデザインやモノそのものの美しさ、そのものが持つ意味には限界があると感じるようになったのだと言う。 「人間の作った究極のデザイン=クルマ」に対し「神様の作った究極のデザイン=自然」に興味をもち、自然の中の車、さらには、自然そのものに目を向けるようになってきたのだ。
そしてその一方で、「自分は誰に向かって今まで仕事をしてきたのだろう?」と小川さんは自らに問う。
「ずっと、クライアントに向かって写真を撮っていると思っていました」
クライアントのメッセージを的確にキャッチし、咀嚼し、伝わる写真を撮る。それがクライアントに評価されてきたと考えていた。けれども、クライアントのメッセージを伝える写真を撮り、それが結果的にユーザーの購買意欲につながったとすれば、実は、自分の写真を見て評価してくれたのはクライアントではなく、ユーザーではなかったか……?
「なんで今まで気づかなかったのでしょうねぇ。還暦を前にして、やっとそこに気づいたんですよ」と、小川さんは穏やかに笑った。
「自然の作った究極のデザイン」の魅力
一般ユーザーこそが、自分の仕事を長く支え、見て、評価してくれていた。それならば、還暦を節目として何かを変えるとするならば、これからはしっかりと一般ユーザーの方を向いていよう。そして、今までどおりカメラを携えながら、今までと違うことをしてみよう。
そう考えた小川さんは、一般ユーザーに写真の楽しみ方を教えることにした。
教える題材として選んだのは「花」だった。
なぜ、「花」なのか。
これほど簡単に手に入り、自然から生まれたものであって、美しいものはない。クルマとは対極の位置にあり、しかもデザインは無限だ。
「写真家が花を撮るようになったらおしまいだ、と若い頃には思っていたんですが」
小川さんはちょっと恥ずかしそうに語る。
花の写真を撮るようになり、やがて『小川義文写真集 MOMENT OF TRUTH』を2014年に出版した頃には、Facebookでつながった仲間たちとの間に、花の写真グループができていた。まずはその仲間たちに写真を教えることにした。
どうせやるのなら、プロが使うようなカメラではなく、徹底的にイージーにやってみよう。そう考えた小川さんは、コンパクトデジカメで花の写真を撮るグループを立ち上げた。半年に数回、ワークショップを通じて小川さんが花の写真の撮り方を教える。それから半年後の2015年7月には、第1回「小川義文監修 花の写真FBグループ展」も開催した。
ゴールを決めなくてもいい。失敗してもいいじゃないか。
それまでの小川さんの仕事のやり方は、結果を想定し、その結果から導き出されるプロセスを立て、どういう道筋をつければその結果が得られるか? を考えてから着手するというものだった。だから、実現しないものはやらない。そこにロスはなかった。
「けれども、そこから変えようと思ったんです」
ロスをしてもいいじゃないか。「今」が楽しければいいじゃないか。失敗してもいいじゃないか。やってみて、失敗したらやめればいいじゃないか。
「今までの反動かもしれないですけどね。そんな風にゴールを決めずにやってみてもいいかなと思ったのです。おかげで今、とても楽しいんですよ」
ゴールを設定せず、半ば成り行きではじめた「花の写真展」は好評で、2016年初夏に2回目を開催。第3回も2017年に開催が決まった。参加者にとっては、一流の写真家である小川さんに花の写真を教わるという喜びもあるけれど、実はそれだけではないようだ。経済的な格差や社会的な地位、ビジネス的な計算などまったく関係ない趣味のグループは、思いもかけず楽しいものとなっているという。交流会や、避暑地での音楽会の開催など別方面への発展もあり、一体このグループがどこへ向かうのか、小川さんにも想像がつかない。
利害関係なく集った人間関係に居心地の良さを感じているのは、参加者ばかりではない。小川さんもまた同様に感じている。
「子ども同士って、なんの計算もないから初対面でもすぐ友達になっちゃうでしょ? そんな感じでね」
何を撮るか。なぜ撮るか。技術はその後についてくる
このグループのワークショップでは、小手先の技術ではなく、写真の本質的な楽しみを教えたいと小川さんは考えている。
だから、細かな写真の技術は一切教えない。
ワークショップではまず、花を活けるところから始める。
「どのくらいの手加減を加えると茎が折れてしまうのか、光に透かすと葉脈はどう見えるのか、それが分かっていないと生きた花の写真は撮れないからね」
クルマだろうが、人だろうが、花だろうが、被写体にとことんこだわるその姿勢だけは変わらない。
さらに「光と影」についてもしっかり教える。写真は「半逆光」つまり被写体から見て左右45度やや上の方から照射される光にこだわること。なぜなら、それが一番難しい光であり、被写体を一番美しく見せる光だからだ。
細かい技術は教えないよ、という小川さんのワークショップは、しかしとびきり面白いに違いないと筆者は思う。インタビューの間、小川さんの話は時に体験論、時に芸術論、時に写真論と、どの話をとってもめっぽう面白かったからだ。
もう走らない。自分の歩く速度に見合った生き方を考える
もちろん、小川さんが自動車の写真を撮るのをやめたわけではない。2016年夏には、いままで撮り貯めた作品の中から厳選されたカットを収めた『小川義文 自動車』を新たに出版。被写体である自動車の持つ「意味」と「魅力」を存分に表現した一冊となっている。
「集大成ですね」と笑うと、小川さんは「いやいや、自分でなければ出せない本だから出したまでですよ」とおっしゃる。でも、若者の車離れと言われる今だからこそ、楽しい車の本、いい写真の本を出すべきであり、今出せるのは自分しかいないと感じている。
もし、さらにもう一冊出すとしたら?
「世界中の高級車を撮る本ですね。この本を出すためにはまだ数年、準備がかかる。それが終われば、もう車でやりたいことは、やりきったということになるのかな」
新しいキャリアを重ねていく準備を少しずつしつつ、そこに感傷はない。新たな出会いや広がる世界を目の前にして、ワクワクしている小川さんだ。
「走り続けるのは辛いですよね。これからは、自分の歩く速度に見合った生き方でいければいいんじゃないかな」
今までとは違う人生を。とは言え、過去は捨てず、現在に活かし、写真という素晴らしい表現方法を皆で楽しんでいこうと考えている。これに賛同する仲間や友人たちが集い、新しいネットワークは広がっていく。
足取りも軽やかに、写真家・小川さんは第二の人生を歩き始めている。
(取材・文 宗像陽子 撮影 金田邦男)
「小川義文 自動車」
小川義文/著 (東京書籍)
ISBN:978-4-487-80979-0