一人ひとりの子どもに対等に接し
体当たりで子ども相撲を教える

40年以上も地域で子ども相撲を教えている方がいると聞いて、お話を伺ってきた。教え子が現役の大相撲力士として8人も活躍し、過去にはチームを全国優勝に導いたこともある。どうやって現代っ子たちに相撲の魅力を伝えているのだろうか。また相撲を通して何を伝えたいのだろうか。

佐川聡彦
昭和33年生まれ。東京都出身。東京都相撲連盟理事長、立川市相撲連盟会長。立川練成館相撲道場で子どもたちを指導。

相撲現役10年。子どもに教えて40年

立川市にある諏訪の森公園の南側に、昔ながらの大きな神社がある。諏訪神社である。その由緒を紐解けば、弘仁2年(811年)に信州諏訪大神を勧請したとあるから歴史は古い。その後焼失したものの平成14年には今の形に整った。うっそうとした木々を擁した厳かな雰囲気の残る神社である。

その境内に練成館という建物がある。弓道、合気道、剣道など伝統的なスポーツを楽しめる施設で、一番奥にあるのが相撲道場だ。毎週火曜と土曜には、道場に通う子どもたちの元気な声があふれる。

今回ご紹介する佐川さんは、この「立川練成館相撲道場」で園児から中学生まで現在30人ほどの子どもたちに相撲を教えている。その年月はすでに40年を超えた。

佐川さんは、小学校4年のときに都内から立川市に引っ越してきた。初めて立川の子ども相撲大会に出たのは小学校5年生のとき。当時立川には、今の練成館のような道場はなかったが、町ごとに町民大会があり、そこで勝てば市民大会、また勝てば都大会にと進む仕組みで、今よりずっと相撲は盛んだったそうだ。

身体も大きく、父親相手によく相撲をしていた佐川さんは、市民大会に出場し優勝。ついに都大会に出場し、2位となった。こうなると楽しくてしょうがない。中学に入学しても相撲を続け、優勝を経験し、全国大会にも出場をしたのだった。

その後、佐川さんは相撲の強豪高校に入学し、相撲部に入部して、全国大会でもある程度の実績を残したものの、そこではあまりいい思い出はないようだ。大学まで相撲を続ける情熱も失せ、高校で相撲の現役生活を終えることとなる。

「ずっと相撲が好きでいてほしいから」

「高校時代は、相撲が嫌で嫌でしょうがなかったんですよ。きついし、痛いし、上下関係も嫌いだし。大学の合宿所に入ってまでやるのなんてとてもイヤだ、高校3年間でやっと相撲をやめられたと思っていました」

そのころ新しくできた練成館で、昔の恩師が子ども相撲を教えていた。相撲をやめたことを報告したところ「じゃあお前暇だろう。ここに来て子どもに教えてくれよ」と言われたのが、子どもに相撲を教えるきっかけとなった。
「子どもは好きだし、教えるのも嫌いではなかったものですから今まで続けて来られたというところでしょうかね」

話だけを聞いていると、「40年も指導に従事する熱血漢」という印象は受けない。淡々としており「成り行きなんですよ」といった風な語り口である。あれほど好きだったはずなのに、大学に行ってまでやる気になれなかった自分に対して、まだちょっとだけ負い目があるようにも見えた。とはいえ、その話し方はとても丁寧で、一言一言言葉を選びながら話す姿には、嘘がない実直な人柄がにじみ出る。

道場では、子どもたちに「礼儀を覚え、相撲を楽しみ、嫌いにならずに中学卒業まで通ってほしい」というスタンスで指導をしている。現在練成館のOBで現役の力士は8人いるが、だからといってプロを目指した指導をしているわけではない。「むしろ高校に行かずに弟子入りしたいなんて言う子は止めていますよ」。プロになるということは、どれだけ苦難の道が目の前に続くのか知っていれば、安易に勧めることはできない。

道場の行事としては8月下旬に行う諏訪神社の外土俵で行う奉納相撲がある。力を出し合い、地域の人に戦う姿を見てもらい、賞品をもらえるお楽しみもある。10月には全国少年相撲選手権大会に、小学3年生から中学生までが出場をする。暮れには練成館の大掃除をして忘年会。新年には餅つきなど、季節の行事を楽しみながら日ごろの練習に精を出す。

若貴ブームに沸いたころには、1学年5,6人ずついたこともあるが、ブームが去れば指導者2人に対して子どもが一人というようなときもあり、もう道場を閉じるしかないかと観念したことも。
「だから、今、相撲をやりに来る子どもたちがいることがありがたいですね。だんだん習熟してくると厳しくもなりますが、なるべく楽しくできることを心がけて、その中で試合にも出て、いい思いをみんなができればなという思いでやっています」

体格や性格に合わせ、得意を見つけて伸ばす

取材日に稽古に来たのは10人ほど。相撲をするというのだから大柄な子どもたちばかりかと思いきや、さにあらず。今にもぽっきり折れそうな細い子やまだ幼児の面影の残る小学1年生から、すぐにでも弟子入りできそうな大きな中学生まで、大小(と言っては失礼だが)さまざまなサイズの子どもたちが、キリリとまわしを締めて、体操を始めた。

おもしろおかしい指導があるわけでもない。子どもにおもねる指導もない。かといって激しい罵倒の声が飛び交うわけでもない。実に淡々と、体操、しこ踏みと続く。しこは一人ずつ10を数えながらやっていたので、100回以上踏んでいただろうか。小さな子どもたちまでも、飽きずに熱心にこなしている。佐川さんは一人ひとりに「もっと膝を開かなくっちゃ」「お。いいねえ」と声をかけていく。「しこ」「すり足」と、相撲の基本動作をきちんと進めていく。

さらに、二つの土俵を使い、「三番稽古」「勝ち抜き」「ぶつかり稽古」、その後「鉄砲」「股割」と、粛々と練習をこなす。

小さな子から大きな子まで一緒に練習をしていく中で、どのような指導を心がけているのだろうか。

「性格により、向いている相撲と向いていない相撲がありますし、体格の違いもあります。基本的に頭で相手にぶつかるのがいいんですが、なかなか怖いことですから、できない子もいます。その子には立ち合いの仕方を教えたり、右を差すのが得意な子、左で押っ付けるのが得意な子、それぞれ得意なことがありますから、それを早く見極めてあげて、強みを生かす教え方を心がけています」と言ってから「まあ、どのスポーツも同じだと思いますが」と照れ笑いする。

相手に投げられたときの対処の仕方や、どういう攻め方をすれば相手により効果的なのか。指導者になったからこそわかることも多い。じっくり観察し、性格を見極め、子どもたちに伝えていく。

負けても折れない心を鍛える

相撲は、柔道などと違って体重別の競技ではない。そのため小さな子はいつまでも勝てない。だからこそ、大きな子に勝てたときには喜びも倍増するのだが、そうそう勝てるものでもない。当然負けず嫌いな小さな子は、負けるたびに泣くことになる。ちっぽけな子が、何度も何度も大きな子にぶつかっては転がる。やせっぽちな子が、勝ち抜き戦の最後に力尽きて負けて涙を流す。
佐川さんは、「負けることは悪くはないんだよ。前に進んで負けたのなら、恥ずかしくないんだよ」と何度も伝える。

身体が大きくて勝っている子には「頭を下げていたら、相手に体を引かれたら、すぐに落とされてしまうよ。次、負けちゃうよ」と注意を喚起する。
なかなかぶつかれない子には「もっと勇気を出さなくちゃ。頭で当たるんだよ」と自ら、頭突きをして見せる。具体的に悪いところを指摘し、いいところはすぐほめ、振り絞った勇気を見逃さない。

「負けるのが悪いのではない」。この言葉が勝てなくて泣いている子どもの心を強くし、体が大きいだけで勝っている子どもの慢心を諫める。人生を強く生き抜く指針となっていく。

練習の見学をしている保護者に話を聞いてみた。

ある親曰く「先生は、大きな大会のときでも、一人ひとりの子どもが相手チームの誰と戦って、どういう勝ち方や負け方をしたのか、すべて把握しています。後で、あそこがよかった、悪かったとコメントしてくれるんです」

ある親曰く「きちんと見ていて、過剰にほめたりけなしたりすることがない。だから評価してくれたときは子どもも本当にうれしいんです」

長髪を後ろで縛っている男の子がいた。親は、佐川さんに長髪を注意されるのではないかと内心気にしていたそうだ。するとあるとき佐川さんがプロの床山さんを呼んでくれて、その子の長髪を立派なちょんまげに結ってくれたという。その親は、ちょんまげ姿の満面笑顔の子どもの写真を見せてくれ「子どもの気持ちを大切にしてくれて、とてもうれしかったです」と話してくれた。

2019年、突然の病気で佐川さんが倒れ、入院をしてしまった。子どもたちの中にはおろおろと泣き、お見舞いに駆け付けて、ベッドに伏している佐川さんから離れない子もいたという。それほど絶大な信頼を子どもたちからも親たちからも得ている佐川さんなのだ。

いつまでも子どもとじゃれ合っていたい

現在、大相撲の現役力士には8人子ども相撲道場のOBがいる。特に出世頭の北勝富士関は、将来有望でもあり、結婚などことあるごとに報告に来てくれる嬉しい存在だ。ただ佐川さんが今一番気になるのは現在幕下の芝関のこと。令和2年の一月場所で4勝すれば十両に上がれるかどうかの瀬戸際だったが、残念ながらその場所も3勝にとどまり、十両に上がることはできなかったようだ。まだまだ心配の種は尽きそうもない。

これからだんだんと歳を重ねていく中で、夢は何か聞いてみた。

「練成館としては10月の全国少年相撲選手権大会で優勝をしたいですね。最終的には、私がまわしを締めなくても若い指導者が戻ってきて教えてくれるのが一番。でも、個人的には、できる限りまわしを締めて子どもとじゃれ合っていたいですね」と笑う佐川さん。病後の身体はちょっぴり痩せてしまったが、力いっぱいかかって来る子どもたちを「よし!」とがっちりと受け止めていた。

(取材・文 宗像陽子 写真 金田邦男)

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