ワンコインの屋台蕎麦でセカンドライフ
意外性とこだわりと楽しい会話が人気の秘密

長く働いた後のセカンドライフ。それまでの経験を活かしつつも、今までの人生とまったく違う道を歩む人も少なくない。今回は、旅館の支配人を長く勤め、リタイア後に屋台の蕎麦屋の親父さんとなった素敵なシニアを紹介する。

作田強
1940(昭和15) 年生まれ。広島県出身。伊豆市修善寺にてワンコイン屋台蕎麦「さくだ」オーナー。

ワンコイン屋台蕎麦が、大人気

修善寺温泉街の中ほどにある駐車場に、何かがすだれに覆われている。「塩そば」「十割そば」という二本の幟を見ると蕎麦屋のようだが、中の様子がまったく見えず、初見で中に入るのは相当勇気がいる。

中に入ると、天井にも壁にも、芸能人のサイン入り写真や、一般の人たちからのお礼の手紙などでぎっしり。 「いらっしゃい」。温かみのある声に何やらホッとする。

オーナーの作田さんは、長い間近くにある有名旅館の支配人だった人である。リタイア後ここで蕎麦屋「さくだ」を始めたところ、ネットでも評判となり、驚くことに海外からもたくさんの観光客が訪れているという。
「中国、韓国からたくさん来ますよ。先日は韓国の留学生に話を聞いたというオーストラリアの女の子が二人で来たんですよ」。くったくなく笑う作田さんだ。

この日もお昼を過ぎた2時になっても、屋台の外にはベンチに腰をかけて待っている人が何人もいた。「早くて安い蕎麦」だけを求めているなら、行列までして店に入ろうとは思わないだろう。

6人も入ればいっぱいの屋台は、お客さんに囲まれるように中に作田さんが一人はいり、蕎麦粉に水を回し入れ、こね、製麺をし、ゆで、供する。
朝一番の客は、ここで蕎麦を打つ姿を観ることもできる。打った蕎麦がすべてなくなれば本日の営業はおしまい。

取材時は朝一番ではなかったが、特別に蕎麦打ちから見せてもらった。グッグッグと、作田さんの太い腕っぷしでわずか5分ほどで成型された蕎麦は、製麺マシーンに入れられて、あっという間に麺になる。ニョロニョロと機械の下の出口から出てきた麺を、見計らったように包丁のような金属の刃でシャキーン!と断ち切ると、沸騰した下の鍋にドボンと麺が落ちる。きっかり30秒で、さっと上げ、冷水で締める。十割蕎麦の出来上がりだ。
「おもしろいでしょ。これもお客様を楽しませるためのパフォーマンスだからね」。サービス精神旺盛な作田さんなのだ。

蕎麦のコースで、楽しませる

「さくだ」のメニューは一択しかない。もともとのメニューは、「塩そば」はじめ、数種類あったそうだが、「『塩そばって何?』と聞かれるたびに説明しているうちに、『えーい。それならお客全員に問答無用で食わせちゃえ』となり、現在の「蕎麦おまかせコース」一択となった」そう。

蕎麦のコースとは何だろうか。肉やデザートが出てくるわけではなかろうが、何だかワクワクする。それもどうやら作田さんの作戦だ。

客は、修善寺産の山ワサビをゴリゴリと摺りながら、蕎麦が出てくるのを待つ。小さなかわいい皿に、最初に乗せられてくるのが「塩そば」だ。シンプルにゆでられた蕎麦に、作田さんがその太い指で、フランス産の岩塩をパラパラとかける。「ワサビとよく混ぜてね」。作田さんの声が飛ぶ。
塩とワサビをよく混ぜ、さらに蕎麦を念入りに混ぜていただくと、塩が蕎麦の風味を引き出し、ワサビの辛みをやわらげ、実にうまい。十割蕎麦なのに、ポソポソと切れることがない。 「普通は包丁で切るから切っている間に乾燥しちゃうからポソポソになるのかな。うちは切ると同時に鍋にドボンだから、乾燥する間がないんだ」

2皿目は、岩ノリ、ジャガイモの天ぷら、ネギがたっぷり乗っている蕎麦だ。汁は化学調味料も砂糖も使わず、みりんと醤油と昆布やかつお出汁のみで整えられている。これもまた違った味わいでうまい。

ここで汁は全部飲み干さず残しておきたい。最後に天かす、ネギとユズをプラスした絶妙なハーモニーの蕎麦湯をいただく。

ひとつひとつのボリュームはそれほどでもないが、違う味なので飽きがこなくて満足度が高い。会計は正真正銘ワンコイン。500円ぽっきりだ。
なぜ500円にしたのか。「一人で店を切り盛りしているから、勘定のたびに、小銭を触りたくないし、時間も取られたくない。お金はそこに置いといてって言いたい」のだそう。

ワサビも、ジャガイモも近くでとれたもの。ユズはいつも自分の家の庭からとって来る。ときどき友人が特大のユズを差し入れてくれるので、それを使うことも。地域の食材を使って安い金額設定を実現、「本物のワサビっておいしいね」「またこのお蕎麦屋さんに来たいね」と喜ばれれば、結果的に地域おこしにもつながる。

誰も思いつかないことを、自分勝手にやる

作田さんの前職が、有名高級旅館の支配人であることは前述した。広島出身の作田さんが、上京して知り合った友人が、修善寺の旅館の御曹司だったことが縁となった。友人が修善寺に戻るときに、一緒に手伝うこととなり、以来64年修善寺に住む。長く友人を支え、旅館を盛り立て、退職したのは2008年のこと。
「旅館の経営はおもしろかったけれど、リタイア後は、人を使うのも嫌だし、使われるのはもっと嫌。自分で言いたいように、やりたいようにやりたかった。それで自分でこんなことを始めたんです」
当時妻は大反対。ただ、長年旅館の経営に携わっていた作田さんには、商売の経験と勘の蓄積から、ポイントさえ押さえれば必ず当たるという確信があった。

ポイントとは、まずは「え?何それ」という反応のアイデアを考え出す。それが、「屋台でワンコイン蕎麦」だ。その次に「安いし、屋台なのに、味はすごくおいしい」という意外性。そして最後は、本当にやり遂げる行動力だ。

作田さんは、おいしいものが大好きな食道楽で、「うまい」と聞けば、行って試食をしなければ気が済まない性質だから、味にはこだわった。
蕎麦粉はその時に一番おいしいもの。北海道産のこともあれば、新蕎麦がうまい時期には違う地域のこともある。蕎麦汁は、最初こそ旅館時代の板前に教えてもらったけれど、以後は苦労しつつも自身で手作りだ。原価を考えて、砂糖や黒糖を使う店が多いが、あえてみりん100%にこだわった。常に味が微妙に変わる鰹節と昆布の出汁と対峙して、自分の舌を信じて作っている。

そして、作るのが難しいと言われている十割蕎麦も、製麺マシーンを見つけて「これなら修業もいらねえや」と即購入、すぐに鍋に落とすアイデアで、ポソポソ切れないおいしい麺を作り上げることに成功した。

たくましく生きた「ピカドンの生き残り」

作田さんは、昭和15年広島郊外で7人兄弟の3番目として生まれた。「僕はピカドンの生き残りなの」という通り、5歳のときに広島市郊外で、原爆の爆風に吹き飛ばされた。その時、そしてその後に見た光景は、70年以上たった今でも忘れられないし、広島市の原爆資料館には未だに行けない。
戦後は父親の実家である瀬戸内海沿岸の街に住み、のびのびと育った。おもちゃは工夫をして手作りをしていたし、遊ぶときは必ず下の子の面倒を見ながらだ。夕ご飯のおかずは海に潜って魚を取るのが、子どもの役目だった。自然の恩恵や家族の愛情を存分に受けつつ、なんでも自分で判断し、考え、作ってきたことが、今の作田さんの核となっているのだろう。とても明るく、あと2カ月で80歳とは思えないほどたくましい。

蕎麦屋「さくだ」は、1日4時間半の営業を週に5日。水曜と木曜は、可能な限りゴルフを楽しむ。実は作田さんは、プロになってもおかしくなかったほどのゴルフの腕前の持ち主。いまだにシングルプレイヤーで、250ヤードはかっ飛ばす。若いときには300ヤード以上も飛ばしていたそうだ。

グッグッグ。と蕎麦をこねながら、作田さんは「どう?80歳にしてこの腕力。見て!普通はこんなに簡単にはまとまりませんよ。この力がゴルフで飛ばせる理由じゃないかと思っています」と自慢げに太い力こぶを見せて、笑った。

「世間にご恩返しをして、元気でいられればもうけもの」

営業日は、朝は5時に起きてネギやジャガイモを切るなど仕込みを終えて店に来る。10時半に開店して、3時前後に閉店するまで、立ちっぱなし。トイレも行けないし、食事休憩も取れない。毎日バナナを1~2本持参し、客の切れ間に口に放り込むだけで、あとはひたすら蕎麦を作る。

お客がいる間は、退屈させないように手を動かしながら口も動かす。「蕎麦を打っている間シーンとしてにらみ合っていてもしょうがないでしょう。だから世間話をするわけよ」
営業畑をずっと歩いてきた作田さんは、客を楽しませるおしゃべりも上手い。
「『お客さん、どこから来たの』って場所聞いてさ、俺、支配人時代に営業で全国各地に行っているからさ。大体、あそこはこうだねという話をすると、よく知っていますねと言われるよ」

小さな屋台の中では、主導権は作田さんにある。客はただ無防備に、作田さんから与えられるなにがしかを享受するのみ。屋台の中は、あたかも小さな劇場だ。蕎麦を食べるだけのほんの20~30分程度。特別なパフォーマンスではない。けれども作田さんの蕎麦を食べ、語り合う一期一会を客は楽しみ、満足してワンコイン、時には1000円札を置いていく。
客は、蕎麦の味だけに満足するのではなかった。屋台の中の空間に満足するのだ。

そして、作田さんは「楽しんでいるお客さんをダシにして、自分が楽しんでいるの。だから全然ストレスないのよ」と破顔一笑。「僕らは長年生きてきて、あとは世間に恩返しをするだけですよ。それで自分が元気で楽しければ、もうけもの」

たった500円で、お腹も心もほんのり幸せな心持にしてくれる作田劇場は、まだまだ上演が続きそうだ。

(取材・文 宗像陽子 写真 金田邦男)

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