サイフォンコーヒーとハンバーガーで67年
熱海に根付く昭和の香り豊かな喫茶店

熱海に、昭和27年創業の喫茶店がある。おいしいコーヒーとハンバーガーが自慢のその店は、昔から多くの文士が訪れたともいう。マスターは90歳にして、今なおかくしゃく。注文が入ればサイフォンコーヒーを一杯ずつ丁寧に淹れてくれる。昭和の正しきマスターにお話を伺った。

増田博
東京・葛飾出身。昭和4年生まれ。創業67年になる熱海の喫茶店「ボンネット」のマスター。

アメリカ文化と戦争と

多くの観光客でにぎわうJR熱海駅から徒歩で10分程度のところに、喫茶店「ボンネット」がある。昼時には「満席です」の札がかかって入れないこともしばしばある人気店だ。

そっとドアを開けると、中はいかにも昭和の雰囲気。古いジャズやシャンソンのBGMが心地よい。少し古ぼけた白いソファーとテーブル席がいくつか。ソファーに座れば、なぜかとても落ち着く。
店の真ん中に位置するガラスのショーケースには、往年のスターのブロマイドやら各地のお土産やらがぎっしりと飾ってある。ギュッと昭和が詰まったおもちゃ箱のようだ。

東京・葛飾生まれの増田さんは、昭和27年に熱海に店を開いて67年。この地に根を張って生きてきた。

昭和16年(1941年)。わずか12歳で父親を亡くした増田さんは、すぐにも働いて稼がなければならなかった。中学に通いつつ働けるところを探し、親せきを頼って決まった職場はNHK。海外放送が聞ける国際部で給仕を始める。この時期にアメリカの文化に触れることができたのは増田さんにとって幸運だったかもしれない。戦争が激化し、国内では海外の音楽を聞けなくても、NHKの短波放送ではジャズを聞くことはできた。

次第に戦争が激しくなり、学校に行ってもまともな授業などない。「どうせ毎日軍事教練ばかり。そのあげくに軍隊へ行くのであればさっさと行ってしまおう」
飛行機が好きだったこともあり、昭和19年8月1日に陸軍に入隊。増田さんは後続の志願兵の教育係になったため、1年あまり国内を転々と移動させられ、日光の奥で終戦を迎えた。
「もし、外地に行かされていたら、戦死していたと思います」。外地に行った同僚は、ほとんど帰って来ることはなかったそうだ。

PXでハンバーガーと出会う

戦争が終わって平和が来ても、食べていかなければならない現実は変わらない。いくつかダンスホールなどで働いていたものの、どうも水に合わない。そんなとき、銀座のシルクローズクラブという店の前でボーイを募集中のチラシを見かけて、すぐに飛び込んだ。

シルクローズクラブは、経営者は日本人だったが、アメリカ人の将校以上の軍属メンバー以外は入れない高級店だった。占領時の銀座には、そんな店がいくつかあった。

店の雰囲気も、出しているメニューも、来ているアメリカ人も一流なら、店内で演奏をしている日本人のジャズメンバーも超一流だったから、増田さんにとっては願ってもない働き場所であった。

当時、銀座の松屋や服部時計店はGHQに接収され、PXと呼ばれる軍の日用品や飲食物を扱う施設となっていた。通常、PXには軍人またはその家族しか入れない。日本人で入れるのは女の子の売り子だけである。また横浜から東京に移ってきたGHQの本部にももちろん庶民の日本人は入ることはできない。
将校たちは、増田さんをかわいがり、そんなPXやGHQの本部にも連れて行ってくれたという。どこか人を引き付ける魅力が増田さんにはあるのだ。

ある日、PXに連れて行ってもらったときのこと。何やらいい匂いが立ち込めている。

目の前の鉄板でひき肉をジューッと焼くと、香ばしいにおいがたまらない。バンズに挟んで、アメリカ人のコックさんが渡してくれる。かぶりつくと、中の肉はステーキと違って柔らかい。ギュッと肉のうま味が凝縮し、スパイシーな味の濃さを、挟んであるパンが和らげてくれる。
それが、増田さんが初めて知るハンバーガーだった。
「そのハンバーガーはアメリカ人向けだったから、香辛料も強めでした。もう少しさらっとした調味料で味付けしたら、日本人にも喜ばれるだろうなあと思いました。その後ずっとその企画を温めておいたんです」

増田さんの頭の中には、自らハンバーガーを作ってお客を喜ばせるイメージがしっかりと出来上がった。

マクドナルドが銀座三越1階に第1号店を出店するのは、この約20年後の昭和46年(1971年)のことだ。

熱海で銀座の雰囲気を持つ「ボンネット」開店

昭和27年。GHQも廃止され、米兵対象のお店が姿を消していったこともあり、増田さんはそれまでに貯めたお金を携え、満を持して熱海にやってきた。若干23歳で熱海の喫茶店のオーナーとなったのだ。

なぜ熱海だったのだろうか。
昭和25年に起きた熱海大火は、熱海の家屋970棟を焼き尽くし、1461世帯が被災をした。
熱海に親せきがいた増田さんは、その報を聞き「熱海は東京に一番近い観光地。復興すれば必ずこれからよい方向に向いていくはず」と考え、親せきによい土地を探すよう頼みこんでいたのだ。

熱海で店を開くにあたり、考えたコンセプトは「熱海にありながら、一歩お店に入ったら銀座のような雰囲気を持つお店」だった。

コーヒーはサイフォンで、丁寧に淹れよう。スパゲッティやサンドイッチなどの軽食も出そう。ずっと心の中で温めていたハンバーガーを、今こそ出そう。バンズは特注でパン屋さんに作ってもらおう。日本人の口に合うような、おいしいハンバーガーを出していこう。

バンズもなんどか試作品を作り、少し小ぶりのバンズを特注で作ってもらうことに決めた。パテの豚肉と牛肉の分量の配分やソースの味も、吟味しながらオリジナルの味を決めていった。

店の名前は「ボンネット」。ボンネットとはヨーロッパの伝統的な帽子である。ロゴには帽子にアルファベットのボンネットという字をあしらい、カップ&ソーサーを作った。どこか気品を感じさせる店、そんな気持ちが強かったのだろう。

ハンバーガーは、バンズのてっぺんにピクルスがようじでさしてあり、カリっと揚がったフライドポテトを添える。パテは、まさに上質の手作りハンバーグ。ほおばれば、ジュっとうま味があふれ出て、甘辛のソースと口の中で絡み合うような味で完成した。

こうして、「ボンネット」は開店の日を迎えたのだった。

開店当時は、ハンバーガーの食べ方などは誰もわからず、「これはどうやって食べたらいいですか」と聞かれたこともあったそうだ。ハンバーガーに挟んでいたスライスオニオンは,横に添えるだけにして、好きな人だけがハンバーガーの中に挟んで食べられるようにするなど、少しずつ工夫も重ねてきた。

文士の集まる喫茶店として、一目置かれる存在に

NHK時代、銀座時代を経て、増田さんには映画の助監督や音楽家、芸術家、作家、デザイナーなど幅広い交友関係が広がっていた。友人たちは、熱海に店を開くと訪ねて来てくれた。もともと熱海は別荘地でもあったから、別荘に来た著名人が、銀座の雰囲気を醸し出す「ボンネット」に喜んで来てくれたのである。

作家では志賀直哉、谷崎潤一郎、三島由紀夫、広津和郎。映画界では淀川長治、小森和子、芸能界では越路吹雪、三船敏郎などなど、そうそうたるメンバーが「ボンネット」を訪れた。殊に、熱海からほど近い伊豆山に別荘を持っていた谷崎潤一郎は「ボンネット」を気に入り、家族でよく来てくれるようになった。
「谷崎さんは、見てくれはご隠居さんみたいなんですけど、モダンなじいさんなんですよ」とサラリという増田さんだ。
雑誌に「ボンネット」のことを書いてくれる人もいて、大いに宣伝にもなった。映画の好きな増田さんは、淀川長治と親交が深かったが、その縁で谷崎潤一郎への紹介を頼まれて、仲を取り持ったりしたこともあったそうだ。

熱海の街にとっても、「ボンネット」は、東京の風をもたらしてくれるありがたい存在となり、増田さんは一目を置かれるようになっていった。

増田さんは、その人脈を生かし、熱海に新しい風を吹き込もうと努力したことが街での人望につながったのであろう。観光協会から声がかけられ、観光アドバイザーとして様々な行事を企画し、タレントを東京から呼んだりもした。また、観光客に遺跡や町名の由来など歴史を語って街を一回り。最後に「ボンネット」でコーヒーを飲みながら、熱海の裏話などを増田さんが語るといった街巡りツアーも開催した。

昭和41年からは、長く熱海市観光協会の理事も勤めて、熱海の活性化に尽力をしてきた。街巡りツアーは、高齢になった最近では開催していないが、全国から来る観光客を案内し、「知らない歴史がいっぱいありました」などと感謝されることは楽しいことだった。「お客さんが喜んでくれることが、生きがいのひとつでしたね」

熱海と映画とコーヒーで、世界につながる

増田さんは今年で90歳。6年前に手術を受け、実は体も思うようには動かない。今は、ハンバーガーのパテの仕込みも妻の久美子さんに任せ、手間のかかるメニューも減らし、3時には店を閉める。無理せず、できることをできるだけというスタンスだ。「お客さんの笑顔を見るとね、苦労を苦労と思わなくなってがんばろうと思う。若さの秘訣です」と笑う。今までハンバーガーを出す店としてがんばってきたという自負もある。

実はまだまだ、夢もある。もともと映画が好きな増田さん、「熱海で、ベニスの映画祭に匹敵するようなものを作ろうと行政に進言していましてね」と淡々と語る。
熱海は、宿泊施設は多いから世界のスターが集まれるキャパシティがある。会場ができれば熱海らしい映画祭は作れるはずだ。2018年からは民間と個人のプロジェクトで、熱海国際映画祭が始まった。もう一つ大きなものにステップアップできればと期待が募る。

いつの日か、21世紀の映画スターたちが「ボンネット」を訪れ、増田さんの淹れるコーヒーを味わい、話に耳を傾ける。あるいは映画談義に花が咲く。そんな未来を夢見て、今日も一杯のコーヒーに心を込める増田さんなのだ。

(取材・文 宗像陽子 写真 金田邦男)

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