芸ともてなしの心と地域愛で
八王子芸者の復活を担う
戦後、衰退の一途をたどっていた八王子花柳界。その復活に貢献したと言われる人がいる。置屋「ゆき乃恵」の女将めぐみさんである。芸者の世界に入って、芸の道に精進し、芸者のイメージをプラスに代え、地域活性化にまで貢献しためぐみさんにお話を伺ってきた。
偶然飛び込んだ芸者の世界
八王子市の繁華街から一歩路地にはいったところに、置屋「ゆき乃恵」はあった。取材日はまれにみる酷暑の日だったが、門前と敷地内には打ち水がされ、そこだけは一陣の涼風が吹き通っていた。
出迎えてくれためぐみさんは、浴衣をサラリと着こなし、たおやかで、品がよい。
めぐみさんは、もともと芸者の家に生まれたわけでもなく、ごく普通のサラリーマンの家庭に育ったという。「芸者」という言葉は知っていても八王子に花街があることすら知らなかったし、現実に何をするのかも知らなかった。
きっかけは、学生時代に八王子の料亭の仲居としてアルバイトをしていたことだった。
「着物を着る仕事はすてきだなという軽い気持ちでした」
その料亭に、しばしば訪れてきたのが、三ゆき家のたい子さんという芸者さん。お客として、あるいはお座敷にと何度となくお店を訪れるうち、仲居のめぐみさんの存在が目に留まり、スカウトしたのだった。
「小さいときからあこがれていたということもなく、本当にたまたま入ってしまったんですよ、この世界に」とにこやかにほほ笑む。
織物業が盛んだった八王子では、一部のお金持ちが利用する閉鎖された空間であった花街。そこに、ポンと入ってしまったのは若さならではの無鉄砲だったのか、抗うことのできない運命的な出会いだったのか、今となってはどうでもいいことなのかもしれない。とにかくめぐみさんは、花街にはいり、それがめぐみさんの一生を左右し、ひいては八王子の花街全体を左右することにもなったのだ。
芸に精進できる素晴らしい世界
自宅から置屋に毎日通うようになっためぐみさんは、新しい世界に夢中になった。
「こんなきれいな着物が毎日着られる」。仲居として着ていた着物とは全く別物だったから、それだけでもワクワクとうれしい。お姐さんたちは年配ではあったけれど、皆きれいで、つややかでいい香りがした。お座敷では、滅多に会うことのないような一流の人に話が聞けることも大きな魅力だったが、特に楽しかったのは、芸事を学べることだった。
午前中はお稽古に精をだす。日本舞踊も、長唄、小唄も太鼓も笛も三味線も初めてのことばかり。踊りを習えば曲をもっと知りたくなる。曲がわかるようになると、そこに入っている鼓や太鼓に興味がわく。理解できると、曲の間(ま)がわかるようになった。どんどんやりたいこと、知りたいことが増えてくる。
踊りの原点は、歌舞伎にあるとなれば、歌舞伎も観たい。その先には能があるとなれば、これも知りたい。
「知るということは、楽しいことです。今でも学びは続いていますよ。一生学べる楽しさがあるのも芸者さんという仕事の魅力の一つだと思います。芸は総合芸術なんです」。
すでに20歳だったから、お稽古事を学ぶには決して早いとは言えなかったが、めぐみさんはお稽古事にのめりこんだ。古い世界ではあっても、めぐみさんにとって何もかもが新しい世界だったのだ。
一方で、当時八王子の花街は衰退の一途をたどり、いつなくなってもおかしくない状況となっていた。
衰退しつつあった八王子花街
明治以降、八王子は、絹の生産地である山梨と輸出港である横浜の中間地点に位置していたため、織物で栄え、接待の場所としての花柳界も大いににぎわっていた。しかし、その後織物業が世の中の着物離れに呼応して衰退し、それに伴い花街も勢いをなくしていった。めぐみさんが芸者になった昭和60年ごろには、ようやく10軒は待合があったものの、その後は先細りの運命だった。自然の流れの中でそうなっていくものと誰もが思い、衰退を止めようとするものは誰もいなかった。
ただ、めぐみさんだけは「こんなすてきなことがぎゅっとつまっている花柳界がなくなってしまうなんて、もったいない!」という思いだったという。
踊りを習う。ひとつ踊れるようになってお客様に見ていただける。励みになる。次の踊りをまた練習する。また披露する。そんな機会がもっと欲しかったし、若い人にこんな楽しい仕事があるよと知ってもらいたかった。
昔は、芸者の世界というのは表と裏であれば裏の世界であり、夫が妻に隠れてコソコソといくようなイメージもあった。けれどもめぐみさんは「芸を精進していくのは楽しいこと。『芸者』という職業のイメージを変えて、若い人にもっと知ってもらってもいいんじゃない。もっと表に出ていってもいいじゃない」と考えた。めぐみさんは仲間が欲しかった。
斬新なアイデアを次々と出し、八王子花柳界復活
芸者の数が10人に減ってしまった1999年に、めぐみさんはポスターやミニコミ誌で芸者の募集を開始。翌年にはホームページでも募集を始めた。それまで表立った募集をしたことのない花柳界にとっては、画期的なことだった。
「ちょうど、花街が風前の灯火となっている時期だったから、なくしちゃいけないと思う人の気持ちがいろいろな形でみえてきたんでしょうねえ」。めぐみさんが行動を起こすと、めぐみさんに協力してくれる人たちが少しずつ現れ、「八王子黒塀に親しむ会」が発足した。
2001年、めぐみさんは八王子で約20年ぶりに置屋「ゆき乃恵」を開業。
2003年の八王子まつりでは中町公園で芸者衆が「宵宮の舞」を披露した。このときのお客は、数えるほどしかいなかったというが、年々踊りを楽しみにしてくれる人が増え、今では警察官が誘導して整理をしなければならないほどの盛況ぶりだという。
2004年には、「おばけ」という行事を復活させた。これは、江戸時代からある節分の厄落としの行事で、芸者たちが仮装をして、市内の店を訪れる。
「『おばけ』は京都では毎年やっていますが、八王子でも復活できないかなと思いました。昔あった風習を今風にアレンジすれば意味もあることだし、芸者遊びを普段と違う形で楽しめたらいいんじゃないかと思ったんです」
2月の節分の時期に、お楽しみ会として復活した「おばけ」は、グループごとに芸者さんたちが思い思いに仮装をして、市内の料亭を回る。ただ仮装だけでは仮装行列になってしまうが、そこは芸者なので一芸を見せたり、普段ではやらないような出し物を見せる。
「みな、年が明けると夜のお座敷が終わった後に衣裳を縫ったりして、楽しみに準備をするんですよ」。めぐみさんも、もちろん毎年参加。年によってバカ殿になったり、フラメンコを踊ったり、仏像になったり。日ごろの芸者姿とのギャップに、お客さんは大いに喜ぶという。
このほか、病院のロビーコンサートに出演するなど、芸者衆を引き連れて地域の人たちの前にどんどんと出ていき、偏見やマイナスイメージをなくしていった。2017年には小学校の公開授業にも呼ばれた。今まで以上に芸者さんにあこがれる若者も出てくるだろう。
こうして、八王子の魅力をアピールする新しい存在として、街の人たちばかりか、外の人にも「八王子芸者」は認知されるようになった。いつの間にか芸者さんは20人にまで増えていた。
2017年には、念願の「八王子をどり」を開催。これは復活ではなく、八王子では初の開催である。花街踊りを開催できたということは、芸者数もそろい、実力もついて、文字通り八王子花柳界の復活を意味している。その後第2回も開催し、第3回は2020年の5月が予定されている。
「芸事は、これでいいと思ったら終わり。
そこで芸はしぼむのです」
一見おっとりしているようで、実は豪快で、行動力があり、じっとしていられない性格のめぐみさん。その一日は、住み込みの芸妓たちの朝ごはんの用意から始まる。
髪結いさんや踊りの師匠が朝の9時には来るので、8時前には掃除をして整える。当番制にはなっているものの、めぐみさんもやらずにはいられない。「社長が先に来て、新入社員が焦るタイプですね。はは」と笑う。
芸者さんの踊りの稽古について行き三味線を弾く。うまくできなかったところをあとで補習をしてあげるのも大切な仕事のうちだ。
最近ではイベントのような仕事も増えている。広い会場の舞台であれば、リハーサル、音響テスト、主催者との打ち合わせ、照明の相談などにも妥協はしない。
すでにマネージャーに徹していて、芸事はしないのかと思えば、さにあらず。
自身のお稽古に、お座敷と、目まぐるしく一日は過ぎていく。
芸についての考えを伺った。
「芸事は、これでいいやと思えばそこで終わり。終わるということは、芸がしぼむということ。風船のように常にふくらましていくには、いろいろなことにアンテナを張って、いろいろなことに気づかないといけません。ひとつの音を出すにも、その曲のその箇所に込められた喜怒哀楽が感じられなければ、技術の向上もしません。技術の向上がないと、それは表現力にならないんですよ。だから、お稽古は常にやっていたいし、三味線などに触っていないと不安ですね」
常に高みを目指すめぐみさんは、挑戦もする。
5年前には、男性でも踊るには体力のいると言われる「春興鏡獅子」で、男性と同じ衣裳と鬘をつけて毛振りまでやりおおせた。西本智実さんのオファーを受けて、オペラにも出演したこともある。好奇心のアンテナを伸ばしつつチャレンジができるのも、日ごろの芸への真摯な姿勢の賜物だろう。
芸者が芸者という職業でいられるために
めぐみさんは、「毎日がうれしい」という。好きなことができるということは幸せなことだし、お客様との出会いも、毎回新しい何かが生まれるドラマだ。「朝起きると、また新しい一日が始まる『ばんざーい』という感じなんですよ」と万歳をしてみせた。
めぐみさんが最近特にうれしく思っているのは、女性客が増えたことだ。
女性のランチ会や、ファミリーパーティーなどにも呼ばれるようになった。そうなるために料金体系のわかりやすさなどにも工夫を重ねてきた。
今後は、芸者が芸者という職業でいられるために、待遇などの改善を目指し、もう一働きをしなければいけない。若い世代の教育も必要だ。
めぐみさんの多忙な日々は、まだまだ続くようだ。
(取材・文 宗像陽子 写真 金田邦男)