歌が、音楽が好きだから。
形を変えつつ続けていく

同じ音楽業界に夫婦で身を置き、時代の流れに身をゆだねながらも、自分たちの道をしっかりと見極め、自分らしさを貫く。 岩本正樹さんは、アレンジャーであり作曲家。奥様の国分友里恵さんは、歌手であり作詞家。30年以上音楽界の第一線で活躍してきたお二人の、いま目の前に広がる世界とは何かを伺った。

コツコツと「音」を作り続ける

大学時代から音楽同好会でバンド活動・作曲活動を始め、その後大手音楽事務所に就職した岩本さん。20代後半には本格的にアレンジャーとなっていた。

アレンジャーは、メロディー以外のその曲のすべてを作っていくことが仕事だ。その量は膨大かつ、広範囲に渡る。作曲家の作ったメロディーにコード(和音)をつけ、楽器の編成・ リズム・イントロ・間奏・エンディングをどうするかを決め、PCでプログラミングの上で音を組み立て、弦楽器、管楽器の他、ギターなど生楽器を使う場合はその都度レコーディングしていく。

今でこそ、音源はそのままPCに取り込んだり打ち込むことができるが、昔は一音ずつ入力していく根気のいる仕事だった。まだまだアレンジャーとして活躍するプロが少なかった時代だ。 「苦労が多かったのでは?」と聞くと「でも、今の若い人の方が気の毒ですよ」とサラリ。今のアレンジャーの仕事は、ほとんどの作業を家で出来てしまう。でも、それでは経験値が上がらない。クラシックや和声学なども勉強して、現場に出て、人と直接やりとりをして、楽器に触れ、曲の世界観を創り上げていく。そんな経験を経て成長できた自分は幸せだったと、岩本さんは感じている。

その大手音楽事務所にいた岩本さんが別の事務所に移った時に出会ったのが、生涯のパートナーとなる国分友里恵さんだ。

国分さんは小さい頃から歌うことが大好きで、1983年にメジャーレーベルからデビュー以来、7枚のアルバムを発表した実力派シンガーである。ライブ活動を中心に、元カシオペアのメンバーとのユニット「シャンバラ(SHAMBARA)」を結成するなど音楽活動の幅を広げ、そののびやかな歌声で多くの観客を魅了してきた。

お互いが補い合い、リスペクトし合い、成長する

お二人が結婚したのは1985年。ポップスという活動フィールドは同じものの、アレンジ・作曲・伴奏をこなす岩本さんと、作詞・歌手として手腕を発揮する国分さんは、お互いの領域を侵すこともなく、しかし刺激し合いながら道を極めてきた。

岩本正樹 アレンジャー(編曲家)、作曲家。高橋真梨子、岩崎宏美、沢田知可子、高橋由美子、門倉有希、長山洋子、稲垣潤一、国分友里恵らの作品やTVドラマ、アニメ作品を多数手がける。ポップスから歌謡曲まで、作・編曲家として100人以上のアーティスト、1,500曲以上のCDに携わる。
国分友里恵 歌手、作詞家。1983年、林哲司プロデュースによりアルバム「レリーフ」にてデビュー。その後、メジャーから計7枚、インディーズから7枚のアルバムをリリース。1995年には夫・岩本氏との楽曲で歌詞を書いた「ただ泣きたくなるの」がミリオンセラーとなる。1996年以降はクリスチャンとしての活動を始め、2009年には賛美歌をわかりやすく書き直した「現代賛美歌」を発表。

「私たちはちょうど、担当領域が違ったのでよかったのではないでしょうか。『二人とも歌う』といったように、領域がかぶっていると、どちらかが先生になってしまう。そうなっていたら、もう一方がつぶされてしまったかもしれないですね。どう思う?」

岩本さんは国分さんに問いかける。
「お互いにリスペクトがないと難しいかな」と、国分さんは応える。

それは、何も仕事に限らず、ごく一般的な夫婦関係にも言えることだろう。家の中でどちらかが威張っていて、もう一方が言いたいことも言えない関係であれば、それは寂しい風景だ。

どちらかというと緻密で職人気質の岩本さんと、自由で天真爛漫、どこかちょっとお茶目な国分さんは、お互いがお互いを補い合うとてもいい関係に見える。岩本さんが音楽業界の話題について話していると「その言い方だと、専門的すぎてわかりにくいかも」と、国分さんが補足してくれたり、それに対して「ああそうかな。そうかもしれないね」と岩本さんが素直に受け入れるといった具合だ。

「ただ泣きたくなるの」がミリオンセラーに

1987年ごろから、岩本さんは高橋真梨子の曲アレンジを担当したことをきっかけに仕事のオファーが増え、岩崎宏美や稲垣潤一といったアーティストの作品、そして次第に作曲も手がけるようになる。

二人にとって大きなターニングポイントとなったのは、名曲「ただ泣きたくなるの」である。1994年に岩本さんが曲を書き、国分さんが歌詞を担当したこの曲は、中山美穂が歌い、オリコン1位、さらにはミリオンセラーという大ヒットとなった。

その後、二人は数多くのアーティストや音楽シーンに携わることとなる。アイドルの楽曲やCMソング、ドラマ・アニメの主題歌に加え、山下達郎・竹内まりやの全国ツアーでは、メンバーとして14年連続して参加、その他にも多くのトップミュージシャンとの交流を深めた。

Photo by Ryuichi Tanabe

しかし、すでに音楽業界全体には大きな変化が訪れていた。カセットやレコードからCDへ、CDからiPod、そしてYouTubeへとその変化は目まぐるしく、歌を作りCDを作れば売れるという時代ではなくなった。時代の変遷とともに、昔と同じようには行かなくなってきている。

岩本さんは現在58歳。今日もいつものように仕事をこなす。国分さんも毎日、歌に触れ、歌のことを考えて過ごす。二人にとっては朝も夜もなければONもOFFもない。毎日が歌と、音楽とともにある。 「仕事は選んでいられないですよ。一度断ったらもう来ないですからね」と岩本さんは言うが、そこに悲壮感はまったくなく、とてもにこやかだ。それは、ただただ激務をこなすというよりも、大好きな趣味をずっと続けていて幸せである、といった風情だ。

讃美歌に現代語の歌詞をつけて

そんなお二人が、昔から少しずつライフワークとして取り組んでいることがある。それは「賛美歌」を通して人々にメッセージを伝えるということだ。
もともと両親がクリスチャンで、小さい頃から賛美歌を聞いて育ってきた国分さんは、「賛美歌を歌う人になりたい」という夢があった。しかし、賛美歌を歌って食べていけるほど日本でその職業は浸透しておらず、夢は果たせないままになっていた。

いま、国分さんがやっているのは、ただ賛美歌を歌うことではない。
賛美歌の歌詞はなぜか古語で難しい。だから、伝統的な賛美歌のメロディーに、誰にでもわかりやすい歌詞をつけて歌い、音楽を通して聖書のメッセージをわかりやすく伝えていく。もちろんアレンジは岩本さん担当だ。

こうして、国分さんの現代語の歌詞、岩本さんのアレンジによる新しい賛美歌が誕生した。2009年に発売となったCD「現代賛美歌」では、難しいアレンジはあえて避け、ギターを覚えたての中学生でも簡単に伴奏ができるよう、シンプルに作っている。その作り上げる過程は、国分さんにとってとても楽しいものとなった。

二人の活動は、賛美歌の比重が次第に増えてきている。夜のライブから、昼のカフェで歌う「café de 賛美歌」へシフト。ここでは宗派を問わず誰にでも、お茶を飲みながら気楽に賛美歌を楽しんでもらう。もちろん、教会で歌うこともある。体力的にも精神的にも無理のない範囲で活動を続けたい。

「今、こうして賛美歌を歌えるようになって、歌を歌っていて本当によかったと思っています。これならもっと年を取ってもずっとできるかなと思うんです」と国分さんは笑う。

できることをやろうと思ったとき、
いつの間にか昔の夢は叶う

長い人生の中で、気づいたら「賛美歌を歌う人になりたい」という若い時の夢が叶っていた。少し遠回りだったけれど、全てが今あることにつながっていると感じている。

そして、CDが売れない時代と言われながらも、この「現代賛美歌」は購入してくれる人が多いという。66曲入っているその歌詞にはどれにも起承転結があって、家事をしながらでも気軽に聞けて希望が持てるような内容のせいだろうか。クリスチャンを中心に、そうでない人にもジワリと売れてきている。

二人にとって「作品」はこの世に残す生きた証でもある。作品が世の中に受け入れられることは、何より励みになり、嬉しいことだろう。

小さな頃の夢は、そう簡単に実現するものではない。現実生活にまみれて、いつか夢があったことすら忘れてしまい、目の前の仕事をこなすだけで精一杯になってしまう。けれども、目の前の仕事に真摯に対峙していると、あるときふと神様は「小さい頃の夢を思い出す」というご褒美を下さるのかもしれない。

(取材・文:宗像陽子 撮影:金田邦男)

岩本正樹オフィシャルサイト

http://www.iwamotomasaki.com/

国分友里恵オフィシャルサイト

http://www.kokubuyurie.com/

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