35年ぶりにサーフィンを再開。
最高の波と出会う、
その瞬間のために今日がある

60歳を前にして、久々に始めたサーフィンにすっかり魅せられているという沼田さんにお話を伺った。サーフィンを再開して現在7年目。セカンドライフの楽しみは、どんな幸せをもたらしてくれたのだろうか。

海で遊んで、海と共に育つ

カジュアルなジャケットをさりげなく着こなして空港まで出迎えてくれた沼田さん。物静かな雰囲気の紳士というのが沼田さんの第一印象だった。一流旅館のオーナーとしての品を備え、穏やかな物言い。しかし肌も髪も茶色く焼け、首筋には白く線がはいっている。どうやら、地黒ではなく日に焼けているようだ。

御年65歳。生まれた翌年から南紀白浜で育った。それまで大阪に住み、弁護士をしていた父がこの風光明媚な景勝地を気に入り、旅館「むさし」を買い取って移り住んだのだ。
「父は徳島出身でしたから、南紀白浜からは対岸に徳島が見える。食べ物も故郷のものと似ているといったことも、南紀白浜が気に入った要因だったんでしょう」。
沼田さんは南紀白浜の自然の恵み、海の恩恵をたっぷりと受けて育った。

「今は、学校のプールでも飛び込みが禁止というところもあるようですが、僕らは堤防とかあったらすぐに飛び込んでいました(笑)。度胸試しじゃないが、最初は足から飛び込んで、そのうち頭から飛び込んでという遊びをよくやっていました。ライフセーバーなんていませんでしたね」

釣りをしたり、貝やウニを取ったりすることもあれば、戸板のような板につかまり、沖までずんずんと泳いでいくこともあった。

「『土用波のときには海には行くな』なんて大人から言われていましたが、波があるほうが面白いもんだから、構わず遊んでいましたね」

海と戯れ、子ども同士で競い合って遊んでいたことは、おそらく沼田さんの体幹や、バランス感覚を大いに鍛えることとなったのだろう。

沼田久博
1954年生まれ。大阪出身。和歌山県南紀白浜 旅館むさし代表取締役。

サーフィン初体験、初日で立てるように

高校と大学は、大阪で過ごした。
そのころ、巷で流行り始めたのがサーフィンである。当時、「陸(おか)サーファー」などという言葉が生まれ、サーフィンはできないのにサーファーのようにサーフボードを持って浜辺をウロウロしている男性がいたというほど、ブームになっていた。

サーフィンというのは、技を会得するのがむずかしいと言われるスポーツだ。
パドリング(サーフボードにまたがり、両手で波をかき分けながら沖へ進む)して沖に出る。
岸に向かって体の向きを変え、波を待つ。波が来たら、その波に乗ってボードの上に立つ。
それが一連の動きだが、ボードの上に「立つ」のは、容易にできるものではない。立てるまでに1年ほどかかる人はざらだとか。ところが沼田さんは、初めてボードに乗ったとき、その日のうちに立てるようになってしまったそうだ。

小さいときから海に慣れて、筋力があり、バランス感覚もよかったのだろう。すっかり気をよくした沼田さんは、それからサーフボードを買ってサーフィンを始めて熱中したものの、大学1年の夏にはもうひとつ沼田さんの人生に関わる大きなことがあった。

父の死で、旅館の後を継ぐことを決意

父親がガンで亡くなったのである。
今から45年以上も前のこと、よい治療法もないまま手術も拒み、帰らぬ人となってしまった。
「亡くなる前に、『お母さんを頼むぞ』と父に手を握られました」
それは、一人っ子だった沼田さんにとって、旅館の後を継ぐことを意味していた。あれもやってみたい、これもやってみたいという夢がなかったわけではない。けれども大学を卒業後は和歌山に戻り、母のやっていた旅館を一緒に盛り立てていく決心をした。

働き始めてからは、家業が忙しく、たまに行くことはあっても次第にサーフィンからは足が遠のいていった。

「再開するまでには、ゴルフやら釣りやらやりましたよ。ゴルフは性に合わなくて苦痛でした(笑)。釣りは、カジキなんて釣っておもしろかったけれど、ついサーフィンと比べてしまう。何をやっても『サーフィンのほうがおもしろいなあ』と心のどこかで思ってしまうんです」

ガレージには、若いころ使っていたボードが今も複数置かれている

58歳で、本格的にサーフィン再開

沼田さんは60歳になったらまたサーフィンをしようといつしか思うようになった。
「そのころになったら、自分にも時間的に余裕ができて、忙しくなくなると若いときは思っていましたから。」と笑う。
60歳を2年後に控えたある日のこと。京都でサーフィンをしているグループに誘われて、何十年ぶりかで若狭へサーフィンに行った。

昔取った杵柄でもあり、少しばかりの自信と不安と胸いっぱいの期待を抱えて行ったのだったが、その日、沼田さんはとうとう板の上に立つことはできなかった。

若いときは、始めたその日に立てたのに、年を取るということはこういうことを言うのだろうか。筋肉は落ち、肺活量も減った。瞬発力もなければ持久力もない。踏ん張りがきかない。

立つことはできなかった。しかし、久しぶりのサーフィンはやはり何よりも楽しかった。パドリングをしながら沖へ出ていく。波に押し戻されながらまた進む。水しぶきが顔全体にパサーパサーっとかかっていく。
冷たくてしんどい。けれども、ものすごく気持ちがいい。シャワーとはまた違い、顔にかかるのは力強く冷たい水である。ああ、これだ。これだった。だから自分はサーフィンが好きだったのだ。
「やっぱり気持ちがええなあ。海ってええなあって思いましたよ」

こうなってはもう、自分の気持ちにふたをすることはできない。和歌山に帰るとさっそく、知人が営むサーフショップへ行って相談。サーフボードを注文し、いろいろとアドバイスをもらう。
「いやあ、全然できなくて、参っちゃったよ」。きっとそんな風に言ったであろう沼田さんの顔は、満面の笑みだったに違いない。

いよいよボードが出来上がった。再開してみれば海は目の前という絶好の環境だ。のめりこむのに、時間はかからなかった。
最初は岩場が多いこともあってケガばかり。上達もなかなかせず、立てるまでにはさらに時間がかかった。
まずは筋肉をつけなければと、スクワットと腕立て伏せを始める。年をとってからの筋肉トレーニングは、意外にもどんどん効果が出るからそれも面白い。今でもスクワットと腕立て伏せは毎日欠かさず行っている。

一つできれば、次の目標ができる。
次々広がる新しい世界

毎日のように浜辺にでて、地元でサーフィンをやっている人たちに挨拶をしているうちに、仲間ができてくる。次第に海に行っても知っている人ばかりになってくるから、居心地がよくなってくる。筋肉がつき、日に焼けて精悍な顔つき体つきになってきた。少しずつできることが増えていくと、また新しい世界が広がって来る。

まずは、立てるようになった。まっすぐ降りて来られるようになった。だんだん横に滑れるようになった。長く乗れるようになると、もっと楽しくなっていった。上に行ったり、下に滑ったり、板をコントロールできるようになって、さらにはまっていく。
最近、パドリングをして波の先まで行くためのワザ、ドルフィンスルーができるようになった。ボードを沈める腕力、脚力、肺活量が必須の技だ。
「2週間ほど前、いい波がきましてね。チューブ(うず状になった波の中を滑る)に一瞬入ることもできたんですよ」とうれしそうに語る。

旅館業のほかに、南紀白浜の観光協会会長に就いていた沼田さんだが、今年の5月の総会で辞することとなり、少し自由になる時間が増えたと満足気だ。他人と比べたり、競う気持ちはないから大会に出る気もない。ただ自分の楽しさを追求することが沼田さん流のサーフィンである。

恐怖感もなくなり、波と一体感を感じるようになる

冬でも毎日、波の様子が気になる沼田さん。
朝6時ごろ沼田さんの携帯が鳴れば、仲間からの「波立っているよ」という情報だ。
9時からの仕事があっても、十分ひと遊びができる。
家の窓から見える灯台の、横に波が白く出たらどこかに波が立っている印だ。さらに波情報アプリを駆使し、地元の人にも「今日はどうやったかな」と情報集めに余念がない。

行動範囲も広がった。家の周辺だけではなく、ハワイ、インドネシア・バリ島、ロンボク島などに行き、より大きな波にトライする。

年を取ってからのサーフィンは、若いころと向き合い方は違うものだろうか?
若者は、無鉄砲でガンガンと大きな波にも挑戦しているように思えるが、意外なことに若いころのほうが、大きな波に向かうときに恐怖感があったという。
「実は、イエス・キリストを信じてキリスト教の洗礼を受けました。それから不思議と大きな波でもこわくなくなったんですよ。なぜか大きく守られているような気持ちになって」。
神様の恵みという大きなものに守られながら、波と一体となる感覚。年を経て虚栄心がなくなり、あるがままを楽しむ素直な気持ちに波が合わせてくれるようになったのだろうか。

一日でも長く楽しみたい

やればやるほど奥深いサーフィンの世界に、心底夢中の沼田さんだ。
最近では長男もサーフィンをやるようになり、今年もインドネシアに一緒に行ってきた。

波乗りの楽しさは、親子の共通言語。たとえ会話は少なくても…。2018年ロンボク島にて。

今19歳の息子は、普段はほとんど口をきくこともないが、サーフィンをするとなるとついてくる。共通の趣味を持つ仲間として、息子も30歳、40歳くらいになったらもっと話してくれるようになるだろうかと沼田さんは密かに期待している。

ところでサーフィンは、一体何歳までできるものなのだろうか?
「いつまでできるかなあ。70歳くらいまでかな。いや、やり方次第ではもっとできるはず」と沼田さんは、ちょっぴり真剣な表情に。

明日波乗りをするためには、筋肉トレーニングも苦にならない。最高の波と出会ったときのために、波のチェック、ボードの手入れも怠らない。そんな日々の先には、70歳には70歳の、80歳には80歳のサーフィンの楽しみ方があるに違いない。

(取材・文 宗像陽子 写真 金田邦男)

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