出演した作品は数千。
俳優として声優として、迷うことなく生きる
何千もの作品に出演し、業界では有名。しかしながらそれほど知名度の高くないという不思議な女優がいる。今回はそんな方をご紹介したい。青年座の女優であると同時に、声優としても活躍している片岡富枝さんにお話を伺った。
先祖の血が騒ぐ?演劇の道一筋
今回ご紹介する片岡富枝さんは、劇団青年座の女優である。50年以上の長きにわたり、演技者として、舞台のみならず、ドラマ、洋画やアニメの吹き替えなどで数千以上の作品に携わってきた。
ご自宅のマンションの玄関からヒョイっと顔を出して、出迎えてくれた片岡富枝さんは、とても気さくで親しみやすい、失礼ながらどこにでもいらっしゃるような普通のおば様であった。
浅草の景色が一望できる一室で、お話を伺った。
なぜ女優の道を選んだのだろうか。
「うちは、どうもそういう家系のようなんですよ」。片岡さんは、個性的な声でファミリーヒストリーを語ってくれた。
片岡さんの家は、800年ほど前からある茨城のお寺だった。ところが片岡さんの祖父が、19歳のときに突然出奔。何と旅役者の一座に入り、座付き作者となってしまった。ようやく家に戻ってきたときに連れてきた女性が、一座の座長の娘だった。片岡さんの祖母にあたる。
「そういうDNAのせいか、親せきもみんな民謡、新内、小唄を謡う人やら、俳優など表現者が多いんですよ」
中学のころから演劇部に入って演劇に熱中していた片岡さんもまた、一度は会社勤めをしたものの、どうしても役者になる夢を捨てられなかった。
「このままでいいのか。このままでいいのか」とずっと悶々としたあげく、OLをしながら夜間の俳優養成所・舞台芸術学院に入ったのだった。
舞台、声優、そしてテレビドラマで活躍
ある年のこと。東京には珍しく大雪が降った日だった。昭和42年、片岡さんは、劇団薔薇座がやっていた「双頭の鷲」という芝居を、新宿にある厚生年金小ホールに観に行った。駅からの道は雪で覆われ、片岡さんは雪の中を泳ぐようにして会場にたどり着いた。大雪であったため、観客はまばらで舞台に出演している人数のほうが多いほど。観客席にはストーブが出され、まばらな観客がストーブを囲みながらの観劇となった。
このとき、観劇後のアンケートに芝居の感想や役者になりたい希望を、感情に任せて書き連ねたところ、後日丁寧な長文の手紙が届いた。差出人は薔薇座に所属する女優の遠藤晴さんだった。そこには、ぜひ、薔薇座にお入りなさいと書いてあった。
「もう、薔薇座に入ることしか頭になくなってしまって。これは受けるしかない」と思い試験を受けて入ったのが、俳優としての出発点となった。劇団薔薇座は、故野沢那智さんが旗揚げした劇団である。遠藤晴さん、有本欽隆さんといった面々と出会い、片岡さんは一から演劇について教わりながら、女優としての一歩を踏み出す。
声優と俳優というのは、我々はまったく別の職業と考えがちだが、片岡さんによればそうではない。「洋画のアテレコは、野沢那智さんを始め、周りもみなやっていたので声優という仕事も身近でした。今でもそこは変わりなく、舞台俳優で洋画もアニメも演っている方は沢山いらっしゃいます。洋画、アニメ、舞台、何をやっても片岡富枝は片岡富枝。役者として演じています。やり方がちがうと思ったことはないし、役者のほかの皆さんもそうだと思います。一番これが好きということもなく、その都度新鮮な気持ちで、やっています」とキリっとした表情で語る片岡さんに、表現者としての矜持が垣間見える。
薔薇座から様々な劇団やプロダクションを経て、劇団青年座に入ったのは46歳のとき。遠い世界の話ではなく、もっと日常のドラマに出たいと考えたからだ。青年座に行ったことで、テレビドラマにも多く出演するようになる。今日は声優で東京、明日はドラマで名古屋、と多忙な日々が続いた。
舞台で大声を張り上げていた公演終了直後に、海外ドラマの殺される役として吹き替えの仕事が入ったことがあった。吹き替えの役はひん死で息も絶え絶えという状況だ。ところが、舞台ですっかりのどが開ききっているために、大きな声が出すぎて、監督に「片岡さん、声が大きすぎ。マイクから離れて、離れて」と言われたことも。「声帯が舞台仕様になっていたんですね。あの時は大笑いでした」と明るく語る。
強みは、その「普通感」と、
深みのある独特の優しい声
片岡さんの強みは、ふたつある。まず一つ目はその圧倒的な「普通感」である。ドラマでロケに行けば、地元の人に間違えられることは日常茶飯事だという。コロッケ屋のおばさん、八百屋のおばさん、仲居さん、ミカン農家のおばさん。実に多くのドラマに片岡さんは出演しながら「またこの人が出ている」と思われない、しかも演技力がある。だから引っ張りだことなる。
もう一つの強みはその個性的な声だ。片岡さん曰く「誰にも負けない立派などら声。磨きをかけたどら声」だが、深みのある独特の優しい声だ。この強みは主に声優として発揮される。洋画では、愛情深い太った黒人のおばさん役などにピッタリであることが多く、特に知られているのが、ウーピー・ゴールドバーグのアテレコである。
ウーピー・ゴールドバーグは、『カラーパープル』(1985年)でゴールデン主演女優賞、『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)でアカデミー助演女優賞を取り、その後『天使にラブソングを…』(1992年)によりその人気を不動のものにした。
片岡さんとウーピー・ゴールドバーグとの最初の縁は、ディズニーアニメの『ライオン・キング』(1994年)だった。ハイエナの声をウーピー・ゴールドバーグがあてており、日本語版を片岡さんが担当することになった。
その後、ウーピー・ゴールドバーグが演じた役は、洋画でもアニメでもほとんどが片岡さんのもとにくるようになる。ウーピーはもともとわき役の女優であったが、次第にその実力を認められ、ついに主役を勝ち取るようになった。主演女優となったとき、片岡さんは自分のことのようにうれしかったという。
「普通感」と「深みのある優しい声」というふたつの武器をベースにして、さらに片岡さんは日ごろの努力も怠らない。
庶民の役が多い片岡さんは、街に出れば人間観察が習慣となっている。特に人々の会話のリズム感や間合いを観察し、役作りに生かす。また、加齢とともに表情筋が衰え、滑舌が悪くなってくる。口の中に空気を残さず、セリフをマイクに乗せるために、表情筋のトレーニングも毎日欠かさない。
かっぽれと太鼓と三味線と。
趣味を楽しみつつ、芸を磨く
趣味は幅広く、今はかっぽれ、三味線、太鼓を習っている。
かっぽれを習い始めたのは、20年ほど前のこと。時代劇で婢(はしため)の役をしていたときに、所作指導の先生から言われたことがきっかけだった。
「今回、片岡さんは婢だから、所作は問題ない。でも、見る人が見たらこの人は日舞をやっているかやっていない人かってわかってしまうよ。日舞を習っておくといいよ。いつ武士の妻の役が来るかわからないでしょう?」
「私に、武士の妻の役なんて来ませんよ」とまぜっかえす片岡さんに、所作指導の先生は重ねて言った。
「傘貼り浪人の妻だって、武士の妻なんだよ」
「はあっ。それは来るかもしれない!」
いつ来るかわからないけれども、それなら習っておこうか。しかし、芝居に打ち込み、女一人で生きてきた片岡さんにとって、日舞を習うほど経済的な余裕はなかった。すると、所作指導の先生は、「かっぽれを習いなさい。かっぽれであれば浴衣一丁あればよく、それでいて、歌舞伎で言うところの「型」があるから所作が身につく」と言ってくれたのだった。
習ってみると、祖父のDNAもあったのだろうか、かっぽれは片岡さんの性に合ったようだ。その後始めた三味線や太鼓もまた、無我の境地になれ、楽しくて我を忘れるという。
「心のどこかで、暇つぶしという気持ちもあるんですよ。でも楽しく暇が潰せたらそんなにいいことはないかな。そうでしょう?」
今のところ、まだ武士の妻のお役は来ない。けれども、かっぽれを踊る役には恵まれた。人前で太鼓をたたく機会にも恵まれた。芸を磨くためにと初めた趣味ではあったが、70過ぎた今、人生を楽しく彩る手助けになっているのだ。
73歳で、声優アワード功労賞を受賞して
2018年3月。片岡さんは、外国映画を含め多くのジャンルに長年貢献した声優に与えられる賞「第12回声優アワード功労賞」を受賞した。
「芸能界のほんの隅っこで地味に生きてきたつもりだったから、本当に驚きました」と片岡さん。ただ、授賞式のときに大きなスクリーンいっぱいに、自分が声で出演した映画「ナインイレブン」の画面が出て、自分の声が流れ、「外国映画やアニメ、舞台、テレビドラマなど幅広い分野で活躍を続けている」と紹介された。
「ああ、こんなにいろいろなところで、自分の声は流れてきたのだ。地味に生きていても、自分のしてきたことをどこかで見てくれている人はいるのだとしみじみ感じました」とその時のことを思い出して語ってくれた。
去年から今年にかけて、『ハンドメイズ・テイル』『ミルドレッドの魔女学校』など、声優としての仕事は途切れることなく続いている。4月からはアラブ首長国連邦のアニメ「フリージ」も始まった。
「坐骨神経痛になったものだから、今は舞台はしんどいかな。そんなときには、神様がよくしたもので、声優のお仕事をたくさんいただいています」
長い一生も振り返れば一瞬だ。
70歳を過ぎてからは、坐骨神経痛も痛むし、何をするにもおっくうに感じることもある。けれども一方で、「あと何本舞台に立てるだろうか、まだまだ等身大の役で舞台に立ちたい、自分には時間がないのだ」と焦るような気持ちが沸き起こることも。
「まだまだやりたいことはいっぱいあるんです。焦る気持ちもありつつも、その日その日を愉しめたらと思っています」
今年75歳になる片岡さんだが、表現者としての道はまだまだ目の前にまっすぐ伸びている。
(取材・文:宗像陽子 写真:金田邦男)