乗り物が詰まった壮大なおもちゃ箱の中で、
モノをつくり続けて遊ぶ

今回ご紹介する小野さんは、プロのテクニカルイラストレーターとして長く働いた後、アトリエを遊び場に変えて、電車やバス、クルマなどの乗り物のおもちゃづくりに熱中するようになった。今が一番楽しいという、セカンドライフの過ごし方を伺ってきた。

乗り物遊びで80年!
車輪がついてりゃ、みんな好き

長年小野さんの仕事場だった「アトリエ小野」は、京王井の頭線の線路沿いにある。2階にある小野さんの作業机からは、ゴトンゴトンという音とともに井の頭線が目の前を走るのが見える。作業に疲れて後ろを振り向けば、自らつくったドイツのライン川のほとりを模した巨大な鉄道レイアウトが眼前に広がる。

「景色が雄大でしょ。これを見ると丘の上に立っているような気がするから、つくってよかったと思っているんだ」

小野さんは、昭和11年生まれ。戦争中は、仙台へ疎開に行っていた。ようやく家に戻る日が決まり、家にあるおもちゃで遊ぶことを楽しみにして帰宅をすると、電車やクルマのおもちゃは忽然と姿を消していた。母親が、近所のおもちゃのない子どもたちに分けて与えてしまったのだった。「あれから、僕はおもちゃにとりつかれたのかなあ」と、小野さんは笑う。

おもちゃを失ってからは、雑誌の付録についている電車やクルマをはさみで切りぬいて立体にし、畳縁に沿って走らせたりして遊んでいたが、成長するにつれ、遊び方は変わっていく。電車を見る。レイアウトをつくる。模型をつくる。模型を集める。大人になれば、本物のオートバイに乗る。クルマに乗る。遊びに飽きれば、次の遊び、その次の遊び。昭和43年、国鉄のダイヤ改正で蒸気機関車が消えゆく際には、リュックにフィルムを詰め込んで、全国の蒸気機関車を8ミリで撮影して回った。

小野さんのオタク度に紆余曲折はあれども「車輪がついてりゃ、みんな好き」なことは終生変わらないようだ。

本物のクルマも大好きで、結婚後は助手席に奥様の恵子さんを乗せ、MG TD、メルセデス・ベンツ450といった輸入車を乗りこなしていた。「MG TDに乗っていたころは道が舗装されていなかったから、ほこりが立って、すぐにものもらいができちゃったの。乗り心地が悪かったわね。ベンツは、リッター3キロしか走らなかったのよ」と、恵子さん。昭和34年に都心を走るMG TDは、さぞかし注目を浴びただろう。

ジャッキアップされてはいるものの、「アトリエ小野」の駐車スペースには現在もこの2台が鎮座している。今は、小回りの利く軽自動車がお気に入りだ。

小野直宣
東京都出身。昭和11年生まれ。日産自動車のテクニカルイラストレーターを経て、フリーイラストレーターとして独立。多くのテクニカルイラストを手がける。現在は、モノづくりに専念。

ダットサンのポスターで、
日産自動車の契約イラストレーターに

話を昭和30年前半のころに戻そう。

手先が器用で絵もうまかった小野さんは、多摩美術大学図案科(現在のグラフィックデザイン科)に入学。1年生のときに出された自由課題で、日産自動車のダットサン・ブランドのクルマのポスターを描いた。小野さんの絵は、精巧緻密を極めていた。それを見た先生が「日産自動車に持っていけば? 喜んでくれるよ、きっと」と背中を押してくれ、当時千代田区の内幸町にあった日産自動車の宣伝部へ足を運んだところ、「明日から、アルバイトにおいで」と言われたそう。

大学卒業後は日産自動車と正式に契約し、広告部専属の契約イラストレーターとしてクルマの透視図を描くようになった。透視図というのは、クルマの外観から透視をしたようにエンジン内部まで細かく筆で描かれたイラストのことだ。小野さんより前に先達はおらず、いわば小野さんはパイオニア。そして、今ではその役目をパソコンが代わって果たすようになったので、筆で描くニーズもなく、後継者もいない。ある意味、小野さんの現役時代だけにあった、余人をもって代えがたい小野さんのための職業だ。

日産自動車との専属契約を解除した後は、フリーランスのイラストレーターとしてさまざまな会社から仕事を受託。洗濯機、カメラ、冷蔵庫などのマニュアルに掲載されるイラストを自らの手で描いていた。

当時を振り返って、恵子さんは言う。

「あのころは、納期が月曜日に設定されていることが多く、土日も休みはありませんでした。昔は携帯もメールもありませんでしたから、仕事は必ず電話で入ってきます。だから、あまり留守にもできませんでしたねえ」

引退後、絵筆をはんだごてに持ち替えて、
モノづくりに熱中

仕事場「アトリエ小野」は、自宅からほど近い場所にある一軒家。もともとは、愛車を置く場所として買ったセカンドハウスだ。ここで絵筆をふるっていたころは仕事がまだ忙しく、部屋の半分ほどを占領する大きなレイアウトこそつくったものの、鉄道模型を買って、走らせている程度だった。しかし、13年ほど前に完全に仕事をやめてからは、時間ができ、絵筆の代わりにはんだごてや旋盤を使って、電車やクルマの模型作りに没頭するようになる。

「仕事をしていたときは、毎日朝アトリエへ行き、昼には帰ってきて、また午後にアトリエへ出かけていたの。仕事を辞めてもそのペースは全く変わらず、今も朝に家を出て、ここで遊んでいるんですよ。うふふ」

恵子さんはそんな小野さんのよき理解者だが、年に何度もアトリエを訪れるわけではないから、行くたびに電車やクルマが増えていて驚くことになる。

モノづくりを始めて13年。毎日コツコツと作業を続けて、小さな電車であれば大体2週間ほどで完成する。大物になると、2カ月ほどかかるものもある。あれよあれよという間に、おもちゃは部屋いっぱいになり、天井からは飛行機がぶら下がり、棚や引き出しには電車やクルマ、それらの部品や資料が所狭しと並ぶ。製作途中のレイアウトも壁に立てかけてある。隣の和室の畳の上をOゲージが這い、どうやらバスルームや押し入れもすでにあらゆる乗り物のおもちゃとその部品で満杯らしい。

東日本大震災の際には、棚から何から何まで全部落ち、大切な電車やクルマが壊れてしまった。「全部直すのに、1カ月くらいかかったかなあ。でも、それも楽しくて」と、にっこり。

楽しい試行錯誤。自由自在の遊び心

次は何をつくるか。その動機はときによって違うが、「ないものをつくりたい」という気持ちが強い。インターネットを駆使しても目指す模型が見つからないとなると、「よし、それをつくってやろう」とファイトがわく。作品制作にあたっては、設計図が手に入ることもあるが、ないことも多い。おおよそ写真からスケールダウンをし、本物と同じようにこだわって制作するのが楽しい。

モノづくりを始めて最初に手がけたのは、アプト式電気機関車だ。素材は真鍮で、エンジンルームの中はいうに及ばず、車輪に油をさす油壺まで1cmほどの大きさでつくってしまった。もともと透視図を描いていた専門家だから、外観だけではなくエンジン の仕組みまで理解した上で完成させるやり方になるのだろうが、とことん細部にこだわる。旅客車であれば、内部のトイレ、トイレットペーパーまで再現してしまう。

乗り物をつくる素材には、真鍮もあれば、アルミを使うこともある。なかには、素材が粘土のものもある。なんともかわいらしいフォルムのバスが何体か飾られているのがそれで、関東大震災以前から昭和時代のボンネットバスまで、東京のバスの歴史を追って制作したという。まだ道路が舗装されていない時代の、車輪に泥はねよけ用の刷毛がついていた青バス。アメリカから来たT型フォードのバス。木炭を焚いてガスで走っていた日産自動車のバス。進駐軍払い下げのバス。これらはすべてラジコンで動く。

なぜ粘土で制作したのだろう?

「はりぼての犬張子ってあるでしょ? あれが動いたら面白いなあという発想で、粘土でつくってみたんですよ」という。発想が柔軟で自由自在な小野ワールドだ。

「バスは、今のところ、戦後のいすずのボンネットバスまでできたので、ゆくゆくは東京都のバスの歴史を模型で完成させたいな」と小野さん。歴史に至るまで幅広く調べて、忠実に再現するから、実に奥が深い。

ときには、いたずら心が創作意欲に火をつけることもある。友人が海外に行って撮ってきたお気に入りの電車の写真が雑誌に載っていたので、「面白いから、驚かせてやろう」と一念発起。電車の模型をつくり、さらに友人の姿を切り貼りし、あたかもその電車の傍らにご満悦の友人が立っているかのような作品に仕上げた。その写真を撮って送ると、友人がすぐにすっ飛んできた。もちろん、友人は大喜びだ。早速、その作品は次号の雑誌に掲載されたそうである。

夫婦それぞれが楽しむ。
干渉せず、認め合い、ほめ合う

小野さんを語るうえで欠かせないのが、同い年の妻、恵子さんの存在だ。小野さんのやっていることをよく理解し、見守り、支えている。笑顔がチャーミングなかわいらしい女性だ。

恵子さんの趣味は鎌倉彫。「僕にも何かつくって」と小野さんに言われて、アメリカ合衆国初の流線型気動車特急ユニオン・パシフィック鉄道M-10000形を図面から起こした作品は、小野さんの大切なコレクションのひとつだ。

「お互いに楽しいことをやっているの。お互い干渉せず、好きなことを認め合っているし、ほめ合っているし、すごく気持ちよくパパも私も励んでいるの」と、恵子さん。家では音楽、映画、もちろんクルマや電車のこともよく語り合い、お二人の会話が途切れることはない。

お二人はつらいことも乗り越えながら、今年で結婚60周年を迎える。

モノづくりは、あの世に行くまでのつなぎだよ

土日になると、お仲間が「アトリエ小野」に集う。撮り鉄(鉄道写真を撮るのが趣味の人)の友は、写真を撮っては見せに来る。模型好きの友の中には、買った模型を家に持って帰らず(帰れず?)、「アトリエ小野」で遊んで、預けて帰る人もいるそうだ。

売るでもなく、何かに貢献するでもなく、ただひたすら自分の好きなモノづくりに没頭する毎日。楽しい瞬間は「完成したとき」。モノづくりは「あの世に行くまでのつなぎ」。

「ちょっと、このバスの話を聞いて」と、制作秘話や苦労話をニコニコと披露する。完成した電車の模型の話を聞いて、筆者が「見せていただきたいなあ」と言うと、「見る? うふふ」とさっと立ち上がり、ゴソゴソと出してくる。そのうれしそうな様子は、こんなことを言っては失礼かもしれないが、とてもかわいらしく、小学生や中学生の男の子と何ら変わるところはない。

83歳の今が人生で一番楽しいという小野さんへのインタビューでは、「遊ぶ」というワードがたくさん出てきた。ひたすら自分の好きなことをして遊ぶことが、こんなに人を生き生きとさせるのかと、驚かされる取材となった。

(取材・文:宗像陽子 写真:金田邦男)

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