山を、自然を、地球を愛し続ける
アクティブなネイチャーガイド

相澤さんは会社員を長く続けながらも、山のスペシャリストとして過酷な岩登りや冬山登山、そして世界的に有名な山々を登攀してきた。70歳を迎えさらに活躍を続ける相澤さんの「山や自然への熱き思い」を伺った。

世界の山男たちの活躍に憧れて

相澤さんが山登りを始めたのは1963年。15歳の時だ。

多感な時期の少年というのは実にいろいろなことに影響されるものだ。相澤少年の場合は、スウェーデンの探検家、スヴェン・ヘディンが書いた『さまよえる湖』という一冊の本との出会いが大きかった。

「砂漠にポッカリと湖がある。それが季節によって移動する……という紀行文になんとも言えず心をそそられて。それから冒険や探検に心を惹かれて、本を読みあさるようになりました」

モーリス・エルゾーグ率いるフランス遠征隊がはじめて8,000m級の山・アンナプルナ登頂に成功したのは1950年のことだ。その後の60年代~70年代は、世界的にも山登りが盛んになった時代だった。相澤少年は震える心で多くの翻訳本を読み、高校の部活は迷うことなく山岳部を選び、インターハイにも出場した。

相澤篤 宮城県出身。1970年代から海外の登攀活動を開始。ヒマラヤ、アフガニスタン、ヨーロッパアルプス、南米などの登山・登攀の経験を重ねる。並行して動植物を中心としたネイチャー観察を継続。現在は日本登攀クラブOB、日本山岳ガイド協会危急時対応技術指導員、環境省自然公園指導員、東京どんぐり自然学校会員など幅広く活動。

過酷な谷川岳で2シーズン、頂上小屋を守る

大学時代は、学生運動華やかなりし頃。“ロックアウト”を幸いとばかりにもっぱら山通い。中でもとくに相澤さんが好んだのは岩登りだった。

「重装備で体力も財力もある人は海外にも行っていましたが、そういうのは肌が合わなくてね、岩壁を登るというスタイルが自分には合っていました」

当時の岩登りは、その困難度に応じて1級から6級までに分けられていた。6級がもっとも難しく、その中でも群馬・新潟の県境にある谷川岳の「一ノ倉沢」を登るのは、とりわけ高度な技術を要すると言われていた。谷川岳は気軽に訪れることのできる観光地である一方、今までに800名を超える死者が出ており、世界の山のワースト記録としてギネス認定されるほどの過酷な一面をもつ山である。相澤さんは2シーズンを谷川岳頂上の小屋番として過ごし、何度となく一ノ倉沢にも登り、技術を高めていった。

大学卒業後に一念発起。ヒマラヤの未踏峰登頂を決意して行ったものの、登頂はできず断念する。

「インドあたりをウロウロして帰って来たら、同期の友人たちはみんな背広をきて就職活動をしていました。僕は真っ黒な顔をして新宿あたりをウロウロしていたので、怪しげな誘いを受けたりもしました(笑)」

このままではいけない、と就職したのは、大手製薬会社だった。

骨粗鬆症治療薬の開発に携わった
サラリーマン時代

当初は研究所に配属。おおよそ10年後に臨床開発部門に異動となり、そこで一生関わりあえるような仕事にめぐり合う。それは、骨粗鬆症の治療薬の開発だった。現在ほど骨粗鬆症のメカニズムについて解明されていない時代に、治療薬を開発するのは困難も伴いつつも、やりがいのある仕事だった。

仕事は次第に面白くなり、10年ほど本格的な岩登りからは離れてしまったものの、休日にはポツポツと山に登っていた。山や自然と対峙するのは相澤さんにとって必要欠くべからざる時間だったからだ。

「山に行くと自分に向き合うことができますね。また、ずっと集中して歩き続けるというわけではなく、何もしない時間にぼーっと何かを考えることができます。そんなときに『そういえばあれはこういうことなのでは?』『もしかして、こうかも』とひらめくことがあるんですね。日々忙しくても、山に行くことでそういう時間が取れたということはありがたかったですね」

その後、ふたたび岩登りをしようと戻ったときには、環境はすっかり様変わりしていた。1級、6級という言葉すらなくなり、用具は格段に進歩していた。

「僕らはボルトを越えがたい岩壁に打って、そこに小さいはしごを引っ掛けて登っていました。しかし、そんなものはほとんど使わず、自分の力で登るという時代になっていた。言葉すら変わってしまい、自分の体力の衰えや怪我の影響もあって、ハードな岩登りからは離れました」

がむしゃら登山から、
自然に目が行くネイチャーガイドへ

この頃から相澤さんのもとに次第に集まってきたのは、ネイチャーガイドやガイドを育成する「指導員」としての要請だ。山や自然と向き合うのは岩登りや山登りのときと同じだが、手応えや心構えは全く違う。

「若い時はがむしゃらに登るだけでした。でもそれではガイドの仕事はできません。ネイチャーガイドは、何かを発見するために来ているお客さんに応えてあげようという思いがないとできない。『自分はあんな高い山や困難な山にも登ったのだ』といった自意識はなんの足しにもなりません」

こうして、相澤さんの山への接し方が変わってくる。

「次第に、今まで知らなかった花や鳥が目に入ってくるようになったんです。自分でも意外でした」

岩登りをしていたときは踏みつけて歩いていたかもしれないきれいな花、かわいい花。見たこともなかった鳥のいる風景に、相澤さんははじめて気がついた。

「かつて夢中になった谷川岳や小屋の周り、岩登りのルートのどこかにも、そういうものがいっぱいあったはず。見えるものが変わってきたんです」

ゆったり話しながら自然の中を歩く楽しさ

9月のある晴れた日。筆者は相澤さんがガイドを務める「高尾山麓を歩く」ツアーに参加してみた。観光客でごった返す高尾山を登るのとは違い、山麓の散歩道をのんびりと歩くツアーだ。相澤さんは、ゆっくり歩く私たちに歩みを合わせ、地域に残る古戦場の跡を案内したり、道端に咲く花の名前を教えてくれたり、世界各地での旅のこぼれ話などを訥々と語ってくれた。高尾山といえば人がたくさんいる中を汗をかきかき登るものと思っていたイメージは覆された。自然の中を歩く3時間はあっという間で、疲れを感じない楽しいお散歩となった。

しかし、若い頃から数々の山を制覇してきた登山家である相澤さんにとって、初心者へのお散歩ガイドというのはもったいないような気がする。ご本人はそこに不満はないのだろうか。

「いえいえ、ネイチャーガイドは純粋に楽しんでいますし、自分は日本登攀クラブの昔の仲間たちなどと好きなように登っていますから」

そう言ってにこやかに笑う。

相澤さんはのんびりとネイチャーガイドを務める一方、山で怪我をしたときや危急なときにどういう対応をすべきかという「ガイドに対する指導」も行っている。登山で危険な目にもたくさん遭ってきた相澤さんには、ガイドを目指す若い人達よりも経験が豊富な分、その経験からくる生きた知識を伝えることが出来ると感じている。

新会社を立ち上げ、健康支援で社会貢献も

さて、仕事に趣味に全力投球してきた相澤さんは、5年前に「アイ・ナチュラル・ハート」という会社を立ち上げた。製薬会社で長く勤め上げてきた経歴とネットワーク、国内外の山を登ってきた経験とノウハウをマッチングさせて、アウトドアとインドアの橋渡しをする健康支援の会社だ。

相澤さんが取り組んできた臨床開発は骨粗鬆症や糖尿病に関わるものだったが、それらの病気はすべて薬で治るという単純なものではない。たとえば骨というのは一見ずっと変わらないようだが、実は古い骨は新陳代謝により新しい骨に生まれ変わっている。また、骨を壊す破骨細胞と骨を作る骨芽細胞のバランスが崩れてしまうと骨粗鬆症の原因となってしまう。

そうならないようにするためには、運動がとても大切だ。そこで、インドア部門では臨床開発に係る人材育成や教育研修事業などを柱に据え、アウトドア部門では野外自然観察やイベント企画などを行い、自然の魅力を伝えながら健康づくりに役立ててもらおうと考えた。

「骨を強くするために、野外に出てほしい。森を歩いてフィトンチッドを浴びればストレスを抑えるような効果もあります。ゆったり歩くのでいいんですよ」

来し方の人生の仕事と趣味の総決算で、相澤さんは社会貢献を目指す。

山男精神は健在! MTBと登山を組み合わせ
「アマゾン最遠源流」を見に行く

2018年には70歳になる相澤さん。「もうそれほどハードな山には行っていないですよ。体力もついていかないですし。ハッハ」と笑うので、本当にそうなのかと思いきや、よくよく聞いてみるとやはり、常人とは桁外れに違うものをお持ちのようだ。

以前、トレラン(トレイルランニング)をしていた時期があるから、山で走っている人を見れば、ついついトコトコ走ってついて行き、追いつき追い抜いては「俺もまだ走れるな」と溜飲を下げてしまう。
JR中央線に乗って西へ向かえば、視界に入ってくるどの山稜もほとんど経験していることを確認してしまう。
見てゾクゾクする山というものがあり、そういう“とんがった山”をみると「どういうルートで登れるかな」と考えつつ見上げてしまう。

根っからのクライマーであり、冒険・探検好きなのである。

2017年だけでも冬の富士山、八ヶ岳、上越、山梨県の奥の氷壁にも挑んだ。また、2015年から始めた、MTB(マウンテンバイク)と高所登山を組み合わせた「アマゾン川源流へのひとり旅」は、2017年夏に完結した。ペルーにあるミスミ山(5,597m) で凍りつくアマゾンの再遠源流も眺めてきた。ペルーにおける火山の最高峰コロプナ山(6,425m)登山も含め、1ヶ月のひとり旅を楽しんできたという。

来し方の人生の仕事と趣味の総決算で、相澤さんは社会貢献を目指す。

「若い頃は4,000m超えると高山病にかかったものですが、最近は6,000mに登っても平気になってきちゃった」と笑う。

もはや仙人の域に達しているのだろうか?
加齢によって身体能力は落ちるものではないのだろうか?

「適度なトレーニングを継続することで、こういう活動は可能なんですよ」

そういう相澤さんは、トークショーやSNSなどを通じて、トレーニングや健康維持のノウハウについて情報発信を続けている。

人は、年齢を言い訳にして自らの能力をどんどん押し下げ、夢を諦め、冒険の本をそっと閉じてしまっているのかもしれない。

「来年は自転車で台湾を一周してみようと思っています。平和が戻ればアフガニスタンにも行ってみたい。バーミアンから入っていった砂漠の奥にバンディ・アミール湖というとてもきれいな湖がありましてね。昔はよく山賊が出たんだそうです」……。

健康と経験と不断の努力に裏打ちされた相澤さんの夢は、実現を目指してその歩みを止めることはなさそうだ。

(取材・文:宗像陽子 写真:金田邦男)

アイ・ナチュラル・ハート

http://inaturalheart.jp/

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