大人も、子どもも、ペットも。
地域の誰もが行き交う風通しのよい家に住まう
2015年、一戸の賃貸共同住宅が荻窪の街に建った。どこの街でもある話だ。しかしその住宅が、ひとりの主婦の想いを込めた「多世代で距離感を保ちながら暮らし、地域にも開かれた交流拠点を目指す、新しい形の参加型賃貸住宅」だとしたら、どうだろう。
「荻窪家族プロジェクト」。
構想10年、みんなでつくる参加型の賃貸住宅「荻窪レジデンス」を実現させた瑠璃川正子さんに、お話を伺った。
4人の親を看取る
瑠璃川さんは、杉並区に生まれ育ち、結婚後は専業主婦として子育てをしながら夫を支え、自身の両親、そして夫の両親を看取ってきた。瑠璃川さんは4人姉妹の末っ子。自身の親の介護には姉妹3人とその配偶者、夫の親の介護には5人兄弟とその配偶者、といったチームで対応し、夫の両親は病院で、自身の両親は実家で看取った。
その中で得たのは「私たちはまだ、地域の助け合いもあるし、子どもの数も多いから何とか介護もできた。けれども、自分たちが介護される時に、少ない子どもたちだけでやるのは無理があるだろう」という実感だった。
加えて、義母が一時入所していた老人ホームは、当然ながら高齢の方ばかりがいる環境。普通の生活とはかけ離れ、外に出ることすらままならないという環境に大いに疑問がわいた。
「自分だったら、どんな老後が幸せだろうか」
介護をしつつも、自分であったら?を考えずにはいられない。今後、多くの人にとって、避けては通れない大きな問題だ。
想いを持ち続ける。行動する。
「老人ホームって高齢の方ばかり。せめて、社会の人口分布と同じ割合、赤ちゃんもいて若い人もいるような環境に住み続けることはできないのかしら」
「お世話になるばかりっていうのが、なんだかいや。そうではなくて、80歳になっても90歳になっても人のお役にたてることって、ないのかな」
そんなことを考えながら、あるときは病院へ付き添いに行き、あるときは夜ぼんやり考え、あるときは、知人に呟く。
しかし、そればかりでは終わらないところが、瑠璃川さんが他の人と違うところだ。介護をしながらも、老人ホームに園芸ボランティアとして参加。しかし、老人ホームではそれなりの生活はできても、精神的に満足できそうもないと感じ、次に、自分の介護保険のプランを自分で作ろうというネットワークに参加する。さらに、多世代と一緒に暮らすなら若い人たちの子育てについても知らなければ、と「すぎなみ地域大学」に参加し、「NPOちぃきちぃき」を立ち上げる。行動力は抜群だ。その間、多くの施設の見学にも行っている。
これだけいろいろなことに顔を出し、その都度ぽつぽつと夢を語っていると、当然どんどん、人の輪が広がっていく。
人が集まり、夢の実現に動き出す
ぼんやりとした「理想」の火を絶やさずに、情報収集し、行動し続ける。そのうちに人が集まる。そして、理想は次第に具体的な「コンセプト」へと変化していく。
「それはもっと大きな声で言った方がいいわ」
「私、ちょっと人を知っているから紹介しましょうか」
広がった輪からは、多くの施設をいっしょに見て回ってくれる人、漠然とした想いから具体的な言葉を引き出してくれる人、さらには理想を実現させてくれる建築家などなど、強力なサポーターが瑠璃川さんの前に次々と現れる。
実家の親を看取ったあとには、「残った不動産を使って理想的な“終の棲家”を作ろう。お年寄りだけでなく、こどももペットも、自然界すべてのものがそばにある家を」という気持ちが固まっていた。
魔法のじゅうたんに乗る
「それは、まるで魔法のじゅうたんに乗っているようだったんですよ」と瑠璃川さんは言う。
「最初は一人で乗っていたじゅうたんだけど、もう一人乗ると動きも違うし、運転も違うし、新しい景色も見えてくる。違う世界がぱあっと広がって」
瑠璃川さんは、意思は強いが頑固ではない。思考が柔軟で、人を受け入れる度量が広いからこそ、じゅうたんにも魔法がかかるのだろう。
最初はちょっと逃げ腰だった夫の崇さんも遂には「ついていきます」と宣言。「荻窪レジデンス」の構想から植木の手入れ、ウッドデッキ作りにも手を染め、すっかりその一員となってしまったようだ。
理想のレジデンス実現には多くの試行錯誤があったが、たくさんの人の参加があり、会話があり、交流が重なり、2015年2月についに竣工にこぎつけた。
100人の力を味方につける。
自分も人を100分の1の力で支えたい
完成した「荻窪レジデンス」は、各個室は25㎡と決して広くはないが、共有スペースがとても広い。つまり、それぞれ個室を持つ大家族の家といった感じだ。集会室や1階ラウンジなど、1階の一部は非居住者にも開かれ、多様な使い方ができる。工作や手仕事ができるアトリエもある。
こうした施設を使えるのが「百人力サロン」の会員だ。
100人味方がいれば、老後は決して暗くない。そして自分も80歳になっても90歳になっても、誰かを100分の1の力で支えたい。そんな「百人力構想」も、話し合いから生まれた。
高齢者だけの閉ざされた空間ではなく、風のようにいろいろな人が行き来できる場所。そして通り過ぎるだけでなく、少しずつ関わる場所は、こうして実現した。
「百人力サロン」では、自主的な事業が、定期・不定期に開催される。誰でも歓迎の「ふらっとお茶会」や、専門家の話を聞く「チョコっと塾」、地域の人との交流イベントである「隣人まつり」、病院に行くほどでもないけれど気になる医療・健康、介護について相談できる「荻窪暮らしの保健室」、みんなでご飯を食べる「百人力食堂」…。
さらに、サロンメンバーが事業を主催することもできる。現在は、子育て中の親子が訪れる親子サロンや太極拳などがサロンメンバーによって行われ、居住者・非居住者が適度な距離感を持って行き交う、理想の場となっている。
2階の共有スペースは居住者のみの空間だが、日当たりのいいリビングのようなラウンジもあり、落ち着いた時間を過ごせる。3階は瑠璃川さん夫婦の居住空間だ。
顔を出してちゃっちゃか働き、じわじわ浸透
さて、10年かかってようやくできた「荻窪レジデンス」。「多世代がともに暮らし、交流しあい、助け合う」という発想を広め、地域の人たちに賛同の輪をもっと広げて居住者を増やすには、どうしたらよいのだろうか。
「それはね、ご近所さんには営業はしないけれど、あちこちに顔を出して、ちゃっちゃか働くこと」
瑠璃川さんは明快に答えた。
さまざまな会合に参加している瑠璃川さんは、お茶を出し、机をふき、いそいそと片付けをし、働くという。そして何年も「ちゃっちゃか」動いていて、信用を得てからやっとチラシを渡すという。
「じわじわとね」
ローマは一日にしてならず、である。
“第三の居場所”を作る
老後に不安や寂しさを感じている人は多い。それは、家庭以外の居場所がないことに起因することが多い。
「新しい地域に行くと、若くても友達を作るのは大変なこと。サークルでも習い事でもなんでもいいから出かけて行って、本気になって話せる人をつくる。真剣に気持ちの悩みを聞き合える人ができるといいんですけどね」
誰かのそんな“第三の居場所”に、荻窪家族の百人力サロンがなれば嬉しいと、感じている。
20年後の瑠璃川さんはどうなっていますか? という質問に、瑠璃川さんはちょっと首をかしげて「さあ、どうなっちゃうのかしら」と、自信なさそうにつぶやいた。けれども筆者には、20年後、80歳を超えた瑠璃川さんがはっきり見えるような気がした。
「荻窪レジデンス」のオーナーは代替わりをしているかもしれない。しかし瑠璃川さんはそこにいるだけで、居住者や家族が落ち着く存在だ。何かにつけ声をかけ、そしてかけられる。
お荷物でもない。介護されるだけでもない。ちょこんと座って受付をしているだけで、皆に「安心」という力を与える、幸せなおばあちゃんでいるに違いない。
(取材・文:宗像陽子 撮影:金田邦男)