1890(明治23)年、愛知県で「陸軍大演習」が行われた際に、明治天皇が「音聞山」から演習を統監された。また、1913(大正2)年には大正天皇が、同地で陸軍の演習を統監されている。このことから、その後は「御幸(みゆき)山」の名で呼ばれるようになり、明治天皇の「明治天皇八事御野立所」と大正天皇の「御統監之所」の二つの碑が建てられた。昭和初期には全国的に明治・大正両天皇の事績を顕彰する動きがあり、この地も両天皇にまつわる「聖蹟」として紹介された。画像は大正天皇の「御統監之所」碑。
明治末期から大正期にかけて、交通利便性が高まる中でレジャー施設が建設されていった。遊園地や野球場が賑わいをみせ、八事一帯は、行楽地としてさらに発展していく。