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進む生活施設の整備と道路・鉄道の開通

土地区画整理事業による住宅地の造成が進められる中、「東急電鉄」をはじめとする東急グループ各社を中心に、バス路線・鉄道の整備や、商業施設・幼稚園の設置など、住宅都市としての基盤の整備が行われた。その後も、現在に至るまで街の発達の段階や時代の変化に即した街づくりが行われている。


スーパーマーケットなど生活施設の整備も進む MAP __

住宅地の開発とともに商店の設置、医療機関の誘致、幼稚園の開園など、生活施設の整備も進められた。画像は1962(昭和37)年に「野川第一地区」内に開店した「東光ストア 野川売店」。「東光ストア」は「東横百貨店」(現「東急百貨店」)系列のチェーンストアで、のちに「東急ストア」となる。【画像は1962(昭和37)年頃】

「東光ストア 野川売店」の跡地は現在の「野川西団地入口交差点」の角、写真の信号機の左側にあたる。現在はコンビニエンスストアが向かいにあるほか、各方面へ向かうバスの拠点となる「野川台」「野川台公園前」停留所も近く、比較的人通りの多い一角となっている。

東急田園都市線延長開業まではバスが主要な交通手段 MAP __

東急田園都市線が延長開業するまで、鉄道利用のためには国鉄(現・JR)横浜線「長津田駅」や田園都市線「溝ノ口(現・溝の口)駅」などへバスでアクセスする必要があった。画像は「国道246号」方面へ向かう東急バス。「恩田団地入口」停留所はその位置関係から「国道246号」上にあったと思われる。バスの後方には「東光ストア 恩田売店」や「恩田第一地区」の住宅が見える。【画像は昭和40年頃】

「青葉台交差点」と「つつじが丘坂上交差点」を結ぶ坂道を登る東急バス。

東急田園都市線が延長開業 MAP __

1963(昭和38)年、「大井町駅」と「溝ノ口駅」を結ぶ東急大井町線は「長津田駅」までの延長部分の着工と同時に、新都市「多摩田園都市」のPRを狙い、先行して田園都市線と改称した。1966(昭和41)年4月、「溝の口駅」(延長工事中に改称)~「長津田駅」間が延長開業した。写真は3月の試運転の様子で、「江田駅」を出て「市ヶ尾隧道」に向かう途中。延長開業当時「鷺沼駅」~「長津田駅」間は写真のように2両編成で運行されていた。線路左の4車線の道路は1964(昭和39)年に改良された「国道246号」であるが、通行する車は少ない。【画像は1966(昭和41)年】

現在の東急田園都市線「市ヶ尾隧道」付近。通常10両編成で運行されている。1977(昭和52)年開業の東急新玉川線(2000(平成12)年に田園都市線へ改称)を経由して「渋谷駅」方面に向かうようになったほか、一部の電車は大井町線とも直通している。

土地区画整理事業と並行して進む道路の整備 MAP __

「大山道」は1956(昭和31)年に「国道246号」となるが、当時は曲がりくねった砂利道の部分も多かった。その後、周辺の土地区画整理事業と並行して改良工事が行われ、1964(昭和39)年に横浜市港北区元石川町(現・青葉区新石川四丁目)から町田市小川に至る延長約10kmの4車線道路が開通した。「東名高速道路」も周辺の土地区画整理事業と並行して整備が進められ、1968(昭和43)年に東京・厚木間が開通している。【画像は1964(昭和39)年】

「藤が丘前第二公園」付近から「市が尾駅」方面を望む。「東名高速道路」の「横浜青葉IC」が途中に見える。

高さ330m 幻の「ペアシティ タワー」 MAP __(予定されていた場所)

1966(昭和41)年、「東急電鉄」は東急田園都市線延長開業に合わせて、「ペアシティ計画」を発表している(下記コラム参照)が、当時、その中で特に目を引いたのが、「多摩田園都市」の中心複合施設として「江田駅」前に計画された「ペアシティ タワー」。パンフレットには『(高さ)330m 世界で最高の住居 あすの住まいのシンボルです。』と紹介されていた。実際に建設されることはなかったが、実現していれば、現在日本一の高さ330mを誇る「麻布台ヒルズ森JPタワー」(2023(令和5)年竣工)と並ぶ超高層建築であった。近年、日本各地でタワーマンションが多く誕生しているが、半世紀以上も前にこのような計画があったことは、先見の明があったといえるだろう。

主な建物の概要は下記の通り(番号は図中の建物に対応)。
1.「ペアシティ タワー」 1,700戸の住居があり、屋上にはヘリポートも。
2.「プラットホーム」 1階は約480店からなるショッピングセンター、屋上はプールもある憩いの場、地下は1,500台収容の駐車場。
3.「ペアシティ プラーザビル」 「江田駅」の複合施設。住居のほか、レストラン・ショッピング街など。
4.「ペアシティ ビレジ」 1棟につき300~400戸の住居。ショッピング街、幼稚園、駐車場なども整備される地域生活の拠点。
【画像は1966(昭和41)年発表】


「多摩田園都市」誕生後の街づくり計画

「市が尾駅」前の「市ヶ尾プラーザビル」

「市が尾駅」前の「市ヶ尾プラーザビル」。ショッピングプラザ、プールなどがある。
【画像は1972(昭和47)年】
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1964(昭和39)年、「田園都市線総合開発委員会」が設置され、田園都市線延長開業後の街づくりに向けた最初のステップがスタートした。この委員会は「東急電鉄」のほか、「東急国際ホテル」(現「東急ホテルズ」)、「東横百貨店」(現「東急百貨店」)、「五島育英会」など東急グループ各社から構成され、専門的な立場から沿線開発の研究が行われた。


完成当時の「桜台コートビレジ」

完成当時の「桜台コートビレジ」。写真は中央階段で、上にはデザインされた給水塔がある。
【画像は1970(昭和45)年頃】
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1966(昭和41)年、田園都市線延長開業に合わせて日本橋の百貨店「白木屋」で開催された『多摩田園都市展』で、「ペアシティ計画」(「ペア」は「多摩川」沿岸が梨の産地であることから命名)の全容が紹介された。3つの「ネットワーク」(交通・グリーン・ショッピング)と、それにより秩序・関連付けられた3種類の「拠点」(「クロスポイント」「ビレッジ」「プラーザビル」)を計画的に配置することによって周辺エリアを刺激し、新たな開発を促したり街を活性化させるというもの。「クロスポイント」は主要道路の交差点に建設される、日常的な商業施設や広場などと集合住宅から構成される拠点。例としては1968(昭和43)年完成の「江田ドエリング」など。「ビレッジ」はプール・レストランなどを取り入れた、テラス付分譲マンションなどの高級住宅を中心とする拠点で、周辺の開発・波及効果も期待するもの。1970(昭和45)年完成の「桜台コートビレジ」など。「プラーザビル」は駅前広場を中心にショッピングセンター、公共施設、集合住宅が一体となった拠点で、1967(昭和42)年完成の「青葉台プラーザビル」、1969(昭和44)年完成の「市ヶ尾プラーザビル」などがある。


「桜台コートビレジ」の建設当時のイラスト

「桜台コートビレジ」の建設当時のイラスト。丘陵地の地形に合わせ階段状に設計されており、屋上は各階のテラスとなる。
【画像は1970(昭和45)年頃】

その後も、1973(昭和48)年に質的向上を目指す「アミニティプラン多摩田園都市」、1988(昭和63)年に多機能型都市への転換を目指し、文化・商業機能の集積を図る「多摩田園都市21プラン」、2013(平成25)年には「次世代郊外まちづくり基本構想2013」が発表されるなど、時代に即したコンセプトによる街づくりが進められている。


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