渋谷氏の先祖である河崎基家(もといえ)は源義家の軍に300騎余を従え1番で参向し、仙北(現・秋田県)の「金沢柵(かねざわのさく)」を攻略した。その後、基家の信奉する「八幡神」の加護による勝利だと考えた義家が、1092(寛治6)年にこの地に八幡宮を勧請したのが「金王八幡宮」の始まりとなっている。渋谷氏が一帯を支配する際、ここが渋谷、青山の総鎮守となった。その後、基家の子、重家には子どもができず、夫婦でこの八幡宮で祈願を続けていると、「金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)」が妻の胎内に宿る霊夢をみて、立派な男子を授かったといわれている。そこで、その子に明王の上下二文字から「金王丸」と名付け、その後、「金王丸」の名声により、この地は「金王八幡宮」と呼ばれるようになった。上図は江戸後期の『江戸名所図会』に描かれたもの。
都内有数の繁華街、渋谷。中世には豪族、渋谷氏の本拠地となり、「金王八幡宮」「御嶽神社」などの寺社が置かれた。江戸時代には、「宮益坂」に「大山街道」の茶屋街が生まれた。明治維新後の1885(明治18)年、「日本鉄道」の「渋谷駅」が置かれたことから急速に発展し、明治後期から昭和戦前期にかけて、「渋谷駅」は複数路線が乗り入れるようになり、デパートや大学もこの街に集まった。「道玄坂」や「百軒店」は「関東大震災」後に賑わいを見せる街へと変わる。1932(昭和7)年、渋谷町などが東京市に編入され、渋谷区が誕生。戦後は「東京オリンピック」開催の中心地となった。他にも「センター街」「渋谷109」など、現在、街のシンボルとなる施設が誕生した。